【8月20日 AFP】1960年代、米国人にフランス料理の素晴らしさを紹介したことで知られる「アメリカの料理の母」、故ジュリア・チャイルド(Julia Child)さんの生誕から15日で100年を迎えた。

 全米のレストラン100店舗では7日から15日までの1週間、「ジュリア・チャイルド・レストラン・ウィーク」と称し、チャイルドさんのレシピにインスパイアされたメニューを提供した。人気料理研究家のポーラ・ディーン(Paula Deen)さんは「私のアイドル、世界にたった1人のジュリア・チャイルド!」とツイートした。

 米ワシントンD.C.(Washington, DC)の米国歴史博物館(National Museum of American History)では、2001年にチャイルドさん自らが寄贈したキッチンが展示され、100年目の「誕生日パーティー」が開かれた。

 マサチューセッツ(Massachusetts)州ケンブリッジ(Cambridge)にあったプライベート・キッチンは、チャイルドさんが出演していた3つのクッキング・ショーの舞台となり、また1961年に出版されたフランス料理のレシピ本『Mastering the Art of French Cooking』(フランス料理の極意)などで紹介された数多くのメニューを試作した場所でもある。

 米国にフランス料理の素晴らしさを紹介したことのほか、料理には新鮮な食材を用いるよう提案したことで知られるチャイルドさん。「素晴らしい料理とか、複雑な料理を作る必要はない。新鮮な素材があれば美味しい料理ができるもの」が口癖だった。

 メリル・ストリープ(Meryl Streep)がチャイルドさんを演じた映画『ジュリー&ジュリア(Julie and Julia)』の原作となった自伝の著者、ジュリー・パウエル(Julie Powell)さんは、前述の「極意本」に登場する全レシピに挑戦したブロガーだ。パウエルさんは米紙ロサンゼルス・タイムズ(Los Angeles Times)に、チャイルドさんは「『食を真面目にとらえる文化』の創造において役目を果たした。食べ物をただ栄養源として見るだけではなく、作品として、時には芸術としてとらえる文化だ」と記した。
 
■料理への目覚めは「スパイ生活」

 実はチャイルドさんが料理に興味を持ったきっかけとなったのは、第2次世界大戦中の「スパイ生活」だった。チャイルドさんは現在の米中央情報局(CIA)の前身にあたる戦略情報局(OSS)にタイピスト兼研究員として務め、スリランカと中国に派遣されたことがあった。この時代の外国滞在経験が、チャイルドさんの味覚を豊かにした。

 チャイルドさんは中華料理への称賛を書き残している。「中国の(アメリカン)フードはひどい。自動車の整備士が作った料理かと思うほど。けれど中華料理は素晴らしくて、私たちはできるだけ外に食べに行くようにしていた。それが料理に興味をもったきっかけ・・・中華料理に魅せられたのです」

 そして戦時中に出会ったのが、夫となるポール・チャイルド(Paul Child)だった。米国務省に務めていたポールは美食家で、さらに結婚後、ポールの転勤で2人はパリへと渡り、チャイルドさんはこの時、名門料理学校ル・コルドン・ブルー(Le Cordon Bleu)に通った。

 後に1950年代にはフランス人のシモーヌ・ベック(Simone Beck)さん、Louisette Bertholleさんとパリに「3人の美食家学校(L'Ecole des Trois Gourmandes)」を開校し、ここで米国人の生徒たちにフランス料理を教えた。53年にはチャイルドさんがマルセイユ(Marseille)に移ったため学校は解散となったが、チャイルドさんはテレビ番組に出演する際、自分の原点となったこの学校のロゴをあしらったピンをいつもブラウスにつけていた。(c)AFP