【7月6日 AFP】豪ニューサウスウェールズ(New South Wales)州の小さな町で前月末、「英王位の正統な継承者」が71歳で死去した。地元紙ワガワガ・デーリー・アドバタイザー(Wagga Wagga Daily Advertiser)が5日報じたところによると、この男性はフォークリフト運転士として働いていたマイケル・ヘイスティングス(Michael Hastings)さん。前月30日に死去し、5日に葬儀が行われたという。

 ヘイスティングスさんは、第14代ラウドン(Loudoun)伯爵として英国に生まれた本物の貴族だ。冒険を求めて1960年にオーストラリアに移住し、シドニー(Sydney)の南西750キロほどにある小さな町ジェリルデリー(Jerilderie)を「故郷」と呼んでいた。

 ヘイスティングスさんが世界的な注目を集めたのは2004年。英テレビ「チャンネル4(Channel4)」のドキュメンタリー番組で英王室に関する徹底調査を行った結果、15世紀にヘイスティングスさんの先祖がだまされ、王位につけなかったと結論付けたのだ。

■正しく継承されなかった王位?  実はヘイスティングスさんは、ウィリアム・シェークスピア(William Shakespeare)の戯曲でも有名な「バラ戦争(Wars of the Roses)」で王位をめぐってランカスター家(House of Lancaster)と争ったヨーク家(House of York)の子孫。

 チャンネル4の番組によると、英国王エドワード4世(King Edward IV、在位1461~83)が誕生したとき、父のヨーク公リチャード(Richard of York)は仏ポントワーズ(Pontoise)の戦場で戦っていたが、母セシリー(Cecily)は200キロも離れたルーアン(Rouen)で愛人と過ごしていたとする資料が、ルーアン大聖堂(Rouen Cathedral)で見つかった。

 この資料が正しければ、エドワード4世には王位に就く資格がなかったことになり、王座は弟のクラレンス公ジョージ(George, the duke of Clarence)に譲られるべきだったことになる。ヘイスティングスさんは、まさにクラレンス公の直系の子孫に当たる。

 だが当のヘイスティングスさんは、この英王室の正統な継承者をめぐる議論が盛り上がっていた2005年にAFPが行ったインタビューでは「王座奪還」にさほど関心を示さず、もし王位継承権が認められたら大金持ちになれるかもね、と冗談を口にしただけだった。 「リジー(エリザベス女王の愛称)に滞納分の家賃を請求してみようか。何しろ、あの人の一族はわたしの城に500年も住み続けているんだからね」 (c)AFP