古墳から帝政ローマ製のガラス玉、京都
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【6月25日 AFP】京都府長岡京市の宇津久志(Utsukushi)古墳(5世紀)から、1~4世紀の間に帝政ローマの職人によって作られたとみられるガラス玉3点が発見された。奈良文化財研究所(Nara National Research Institute for Cultural Properties)が22日発表した。
薄い黄色をした直径5ミリほどのガラス玉の中央には穴が空いており、全体に細かな金箔が見られる。同研究所が成分を分析したところ、「ナトロン(蒸発塩)」と呼ばれる帝政ローマの職人がガラスを溶かす際に使用していた化学物質が見つかっており、また金箔を間に挟むなどしながらガラスの層を重ねていく「重層ガラス」という比較的高度な手法が用いられていた。
同研究所の田村朋美(Tomomi Tamura)研究員によれば、帝政ローマから日本に持ち込まれたと考えられる重層ガラスの装飾品が発見されるのは極めて珍しく、このたび見つかったガラス玉は国内最古の部類に入るという。
共和政ローマの終焉と共に紀元前27年に始まった帝政ローマは、コンスタンティノープル(Constantinople)が陥落した1453年まで続き、その領土は地中海沿岸を中心に、北は現在の英国まで広がっていた。
イタリアから約1万キロ離れた今回の日本における発見は、帝政ローマの影響力がどの程度東方まで及んでいたのかを調べる手がかりとなると同時に、これら装飾品が日本まで運ばれた経路の解明につながると田村研究員は述べている。(c)AFP
薄い黄色をした直径5ミリほどのガラス玉の中央には穴が空いており、全体に細かな金箔が見られる。同研究所が成分を分析したところ、「ナトロン(蒸発塩)」と呼ばれる帝政ローマの職人がガラスを溶かす際に使用していた化学物質が見つかっており、また金箔を間に挟むなどしながらガラスの層を重ねていく「重層ガラス」という比較的高度な手法が用いられていた。
同研究所の田村朋美(Tomomi Tamura)研究員によれば、帝政ローマから日本に持ち込まれたと考えられる重層ガラスの装飾品が発見されるのは極めて珍しく、このたび見つかったガラス玉は国内最古の部類に入るという。
共和政ローマの終焉と共に紀元前27年に始まった帝政ローマは、コンスタンティノープル(Constantinople)が陥落した1453年まで続き、その領土は地中海沿岸を中心に、北は現在の英国まで広がっていた。
イタリアから約1万キロ離れた今回の日本における発見は、帝政ローマの影響力がどの程度東方まで及んでいたのかを調べる手がかりとなると同時に、これら装飾品が日本まで運ばれた経路の解明につながると田村研究員は述べている。(c)AFP