【6月4日 AFP】2011年3月11日より前、日本の各家庭にとって安全な食材を調達する手段は比較的単純だった。中国産はできるだけ避け、国産品を選ぶ。それが、食卓の安全を確保する上で日本の主婦たちが採るべき最善策だった。

 ところが、東日本大震災に伴う東京電力(TEPCO)福島第1原子力発電所の事故で、国産食品の安全神話は砕かれた。主食の米をめぐってさえ、震災以前には想像もしなかったほど国産米への信頼は失われている。

 日本が安全性を誇ってきた農産物の多くが、一夜にして放射能汚染の懸念を抱かせる食品へと一転してしまったのだ。

■放射能汚染はなぜ恐れられるのか

 放射線は恐ろしい。旧ソビエト連邦のチェルノブイリ(Chernobyl)原発事故から四半世紀あまり、広島と長崎への原爆投下からは65年以上が過ぎたが、多くの被ばく者が現在も健康被害に苦しんでいる。

 放射能汚染への恐怖は、根拠がなくても大きなパニックを引き起こす。福島の原発事故後、遠く離れた北米や欧州の薬局からも抗放射線薬が消えた。専門家らが人体への危険はないと呼びかけたにもかかわらずだ。

 一方で、がんやエイズ、自動車事故でも毎年、数百万人もの命が失われているのに、放射能ほど恐怖を呼び起こしてはいない。依然として人々は喫煙し、危険な性行為を続け、日々、車のハンドルを握っている。

 なぜ、放射能だけが恐れられるのだろうか。想像の産物であれ現実であれ、恐怖に直面した時、何がわれわれの反応を決定付けるのだろうか。

 その答えは複雑で、矛盾も含んでいる。

■「見えない」ものへの「原始的な恐怖」

 健康診断でX線検査を受けるとき、被ばくするからといって二の足を踏む人はまずいない。だが、「核(原子力)」と「事故」という2つの単語が組み合わさった途端、人々の念頭には放射性物質が皮膚をつき抜け、食品や空気とともに体内に入り込み、細胞を破壊するというイメージが浮かび、恐怖に震え上がる。

「何であれ体内に浸透するものは私たちを不安にさせ、原始的な恐れを呼び覚ます」と、仏パリ第5大学(Universite Paris Descartes)の神経学者Herve Chneiweiss氏は指摘する。その「犯人」が目に見えず、臭いも味もない知覚不可能な物質ともなれば、不安が膨らむのも無理はない。

 福島第1原発の事故では大気や土壌、海に放射性セシウムが放出された。セシウム137の半減期は約30年。それが周辺地域の農作物や魚介類、動物たちに直接降り注ぎ、食物連鎖の中に入り込んだ。

 対策として国は農畜産物の放射線レベルのチェックを始めたほか、福島第1原発周囲の農地や漁場で検疫や除染作業を進めている。しかし国内各地の放射線レベル検査では、放射性物質が福島周辺だけでなく、風や海流に乗ってはるか遠くまで拡散したことが明らかになっている。

 さらに、被ばくに関する政府の安全情報が一環していないことも、混乱や懸念を助長している。(c)AFP/Karyn Poupée

放射能―日本に巣食う目に見えない「敵」(下)

・この記事は、AFPのブログ「Geopolitics」内の特集「Living with Fear(恐怖とともに生きる)」に掲載されたシリーズです。