「オバマ少年」を世話したトランスジェンダー、思い出を語る インドネシア
このニュースをシェア
【3月14日 AFP】1960年代後半にバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領のナニー(住み込みで子供の面倒を見る人)だったトゥルディ(Turdi)さん(66)が、インドネシアの首都ジャカルタ(Jakarta)東部のスラム街でオバマ少年との思い出を語った。トランスジェンダー(生来の性別に違和感がある人)のトゥルディさんは、「ちびっこバリー」に何も求めないが、いつか再会したいと控え目に語った。
オバマ大統領は1960年代後半、母親の米国人女性アン・ダナム(Ann Dunham)さんとその再婚相手でインドネシア人の継父ロロ・ソエトロ(Lolo Soetoro)さんとともにジャカルタ郊外の高級住宅街メンテン(Menteng)で過ごした。そこで当時8歳だったオバマ少年のナニーとして2年間働いたトゥルディさんは、一家は自分を家族のように受け入れてくれたと振り返った。
トゥルディさんに会うためテレビ局の取材班がやってきたのは、スラム街に建つコンクリートむき出しの粗末な家。すぐ横には悪臭が鼻を突く下水が流れている。トゥルディさんはここに間借りし、近所の人の洗濯物を手で洗って生計を立てている。オバマ少年の住んだ高級住宅街から、性産業での仕事などを経てスラムで暮らすようになったが、心穏やかな生活を送っているようにみえる。
親しい友人たちにはエビー(Evie)と呼ぶように頼んでいるトゥルディさんは、「私には本当に何もないし、何の役にも立たない人間だから、バリーには何も求めない。ただいつか再会できたらなと思う。それだけよ」とAFPに語った。「この借り部屋に大統領が訪ねてくるなんてあり得ないし、自分が米国へ渡るのも夢のまた夢。待っていれば神の思し召しでいつか会えるでしょう」
■オバマ少年の前では女装せず
最近テレビで一躍有名になったトゥルディさんの回想について米政府はコメントしていないが、大統領一家が住んでいた家と同じ通りに今も住んでいる人は、トゥルディさんがトランスジェンダーであることを知った上で受け入れていたと明らかにした。
だがトゥルディさんはオバマ少年の世話をするときに女装は一切せず、トランスジェンダーであることをにおわせないように気をつけていた。「女装すると刑務所から出たかのような解放感があったけど、バリーの前ではいつも男らしく振る舞っていた。この世界を知るには、あの子はまだ小さすぎたから」(トゥルディさん)
オバマ少年は人気者だったが、彼の友達はトゥルディさんを「おかま野郎」とからかっていた。トゥルディさんは「学校に迎えにいくと、彼の友達が『おかま野郎』と叫んでからかってくるんだけど、バリーはそれを無視して、ただ『ほら、帰ろう』って言ってくれた」と振り返る。
生徒らはサッカーの試合で負けると、オバマ少年の髪や肌の色などの身体的特徴についても「黒んぼバリー」などと呼んでからかっていた。だがオバマ少年はただ笑ってやりすごし、常に「試合に勝つときも負けるときもある。覚悟しておかないと」と言っていたという。
トゥルディさんは「米国大統領になった、つつましい出自の普通の黒人少年」を誇りに思っているとし、彼自身のようなトランスジェンダーの人への差別を含め、世の中のあらゆる差別をなくすために大統領は力を発揮してくれるだろうと語った。
「あの子は(インドネシアの)スカルノ(Sukarno)大統領の写真を指差して、『ぼくもこんな人になりたい』と言ったこともあった。その望みが実現したことを誇りに思う。もしアメリカのトップの男になったバリーが私が知っているバリーだったら、私がトランスジェンダーであるかどうかに関係なく、彼は私を受け入れてくれるでしょう」
■いつかまたあの小学校に
人口2億4000万人の大半をイスラム教徒が占めるインドネシアでは、ホモセクシュアルやトランスジェンダーの人は敬遠されており、イスラム強硬派に襲われる事件も起きている。
トゥルディさん自身を含むトランスジェンダーが暴力を振るわれるケースは後をたたず、トゥルディさんはたまりかねて男性的な外見にして、身を守ることにしたという。幸い、現在暮らしている地域ではトランスジェンダーが差別や攻撃の対象になることはなく、50人ほどが暮らしている。
オバマ大統領が2010年と2011年にジャカルタを訪問したときには会えなかったが、トゥルディさんは、いつの日かオバマ少年の通った現地の学校を、大統領と一緒に歩いてみたいと望んでいる。(c)AFP/Arlina Arshad
オバマ大統領は1960年代後半、母親の米国人女性アン・ダナム(Ann Dunham)さんとその再婚相手でインドネシア人の継父ロロ・ソエトロ(Lolo Soetoro)さんとともにジャカルタ郊外の高級住宅街メンテン(Menteng)で過ごした。そこで当時8歳だったオバマ少年のナニーとして2年間働いたトゥルディさんは、一家は自分を家族のように受け入れてくれたと振り返った。
トゥルディさんに会うためテレビ局の取材班がやってきたのは、スラム街に建つコンクリートむき出しの粗末な家。すぐ横には悪臭が鼻を突く下水が流れている。トゥルディさんはここに間借りし、近所の人の洗濯物を手で洗って生計を立てている。オバマ少年の住んだ高級住宅街から、性産業での仕事などを経てスラムで暮らすようになったが、心穏やかな生活を送っているようにみえる。
親しい友人たちにはエビー(Evie)と呼ぶように頼んでいるトゥルディさんは、「私には本当に何もないし、何の役にも立たない人間だから、バリーには何も求めない。ただいつか再会できたらなと思う。それだけよ」とAFPに語った。「この借り部屋に大統領が訪ねてくるなんてあり得ないし、自分が米国へ渡るのも夢のまた夢。待っていれば神の思し召しでいつか会えるでしょう」
■オバマ少年の前では女装せず
最近テレビで一躍有名になったトゥルディさんの回想について米政府はコメントしていないが、大統領一家が住んでいた家と同じ通りに今も住んでいる人は、トゥルディさんがトランスジェンダーであることを知った上で受け入れていたと明らかにした。
だがトゥルディさんはオバマ少年の世話をするときに女装は一切せず、トランスジェンダーであることをにおわせないように気をつけていた。「女装すると刑務所から出たかのような解放感があったけど、バリーの前ではいつも男らしく振る舞っていた。この世界を知るには、あの子はまだ小さすぎたから」(トゥルディさん)
オバマ少年は人気者だったが、彼の友達はトゥルディさんを「おかま野郎」とからかっていた。トゥルディさんは「学校に迎えにいくと、彼の友達が『おかま野郎』と叫んでからかってくるんだけど、バリーはそれを無視して、ただ『ほら、帰ろう』って言ってくれた」と振り返る。
生徒らはサッカーの試合で負けると、オバマ少年の髪や肌の色などの身体的特徴についても「黒んぼバリー」などと呼んでからかっていた。だがオバマ少年はただ笑ってやりすごし、常に「試合に勝つときも負けるときもある。覚悟しておかないと」と言っていたという。
トゥルディさんは「米国大統領になった、つつましい出自の普通の黒人少年」を誇りに思っているとし、彼自身のようなトランスジェンダーの人への差別を含め、世の中のあらゆる差別をなくすために大統領は力を発揮してくれるだろうと語った。
「あの子は(インドネシアの)スカルノ(Sukarno)大統領の写真を指差して、『ぼくもこんな人になりたい』と言ったこともあった。その望みが実現したことを誇りに思う。もしアメリカのトップの男になったバリーが私が知っているバリーだったら、私がトランスジェンダーであるかどうかに関係なく、彼は私を受け入れてくれるでしょう」
■いつかまたあの小学校に
人口2億4000万人の大半をイスラム教徒が占めるインドネシアでは、ホモセクシュアルやトランスジェンダーの人は敬遠されており、イスラム強硬派に襲われる事件も起きている。
トゥルディさん自身を含むトランスジェンダーが暴力を振るわれるケースは後をたたず、トゥルディさんはたまりかねて男性的な外見にして、身を守ることにしたという。幸い、現在暮らしている地域ではトランスジェンダーが差別や攻撃の対象になることはなく、50人ほどが暮らしている。
オバマ大統領が2010年と2011年にジャカルタを訪問したときには会えなかったが、トゥルディさんは、いつの日かオバマ少年の通った現地の学校を、大統領と一緒に歩いてみたいと望んでいる。(c)AFP/Arlina Arshad