【1月25日 AFP】欧米では紙媒体の新聞が危機的状況にあるかもしれないが、ハイテクで知られる日本では、新聞の発行部数が依然極めて多い――そして日本の新聞は、記事を読者に届けるためにまるで中世のような手段さえも使う。

 2011年3月11日に東北地方沿岸を襲った津波は、死者・行方不明者1万9000人を出し、福島原発事故ももたらした。その津波は、石巻日日新聞(Ishinomaki Hibi Shimbun)の輪転機も飲み込んだ。

 発行部数1万4000部の石巻日日新聞は、同社100年の歴史で最大級の記事の執筆をすでに終えていた。だが、印刷する手段がなかった。そこで記者たちは中世にヨーロッパの修道院で聖書に対して行われた方法と同じ手段に出た。新聞を手書きで作ったのだ。

 これは新聞と読者の親密な関係を示す事例だ。このような関係は西洋ではずいぶん前になくなった。日本の印刷メディアが、新たなメディアの出現による大混乱のダメージを西洋ほどは受けなかったことを意味している。

■輪転機が水没、急きょ手書きの壁新聞を発行

 日日新聞の武内宏之(Hiroyuki Takeuchi)編集長は「その夜、『じゃあ、明日からどうする?』という話をした」と当時を振り返る。「『地域がこういう危機的状況の中で我々が何もしないというのは地方紙としての存在意義がなくなる』、ということになった」

 基本に立ち返るという発想は新聞社社長の近江弘一(Koichi Ohmi)氏から出た。「ペンと紙があれば新聞は出来っぺ!」

 使いものにならなくなった輪転機からロール紙を引きちぎり、被災者が最も知る必要のあること、各地域の被災状況や配給の日程、医療サービスの情報などをペンで書き始めた。

 新聞の配達網もなく、車も利用できなかったため、記者たちは避難所へ歩いて行き、壁新聞として掲示した。

 被災者のヤマダ・ユキエさん(44)は「毎日みんな壁新聞に集まり食い入るように記事を読んでいました。日日(新聞)さんは、本当に私たちが必要としている情報を届けてくれました」と語る。

 壁新聞は、電源が復旧してパソコンのプリンターが使えるようになるまで、6日間続けられた。

「我々は被災者による被災者のための新聞。僕ら地方紙は、どんなことがあろうと、地域の一歩先をいかないと。これは被災をした地方紙の社会的使命だと思う」と武内編集長は語った。

■発行部数世界トップ3を独占する日本の新聞

 きずなは双方向に作用する。

 世界新聞協会(World Association of NewspapersWAN)によると、日本は世界で2番目の新聞普及率を誇る。有料日刊紙の普及率は全人口の92%で、アイスランドに次ぐ。また発行部数では、日本の新聞は世界のトップ3を独占している。トップは読売新聞(Yomiuri Shimbun)だ。

 読売新聞によると同社の1日あたりの発行部数は夕刊も含め1350万部。日刊だけで998万部だ。これは英国のすべての日刊紙を合計した部数よりも多い。

 日本とは対照的に、米国ではロッキーマウンテンニュース(Rocky Mountain News)紙が廃刊、シアトルポストインテリジェンサー(Seattle Post-Intelligencer)紙が電子版のみとなり、サンフランシスコ・クロニクル(San Francisco Chronicle)紙やボストン・グローブ(Boston Globe)紙といった大手も廃刊の危機にさらされている。

 通勤時間の長い日本では新聞を読むことが一般化している。また読み書き能力や学習に非常に高い価値を置く社会でもある。一方で、明治大学(Meiji University)でジャーナリズムを教える赤尾光史(Mitsushi Akao)氏は、インターネットのニュースサイトがまだ相対的に発達しておらず、主要紙にあまり脅威を及ぼしていないことを指摘する。

 赤尾氏によると、市民の新聞に対する信頼は依然高く、また若者の大多数はインターネットで情報を収集するものの、その情報源は新聞であることが多い。この状況が続くようであれば、新聞は消えることはないだろう、と赤尾氏は述べる。

 さらに、新聞社は他のメディアと比べてはるかに大きなネットワークを持っており、記者も多いと指摘。また地方紙は読者とのつながりがあると語った。

■発行部数の落ち込みもわずか

 日本新聞協会(Japan Newspaper Publishers and Editors Association)によると、2011年の1日あたりの新聞の発行部数は平均4835万部で、前年比で1.97%しか減少しなかった。

「減少傾向のなか、昨年の発行部数も数は落ちたが、それほどひどくなかった」と立命館大学(Ritsumeikan University)のマスコミ学専門の金山勉(Ritsumeikan University)教授は語る。

 金山氏によれば、日本の新聞社のビジネスモデルは他の先進国とは異なるという。「日本の新聞は、全国を網羅してきた宅配制度に負うところが大きい。やはり、駅売店での発売が主流の他国とくらべて大きく違う点」

「もうひとつ強みをあげるとすれば、新聞が読者の信頼を獲得する努力を重ねてきたこと。特に地方紙は地域との結びつきを大切にしてきた。そういった努力があったからこそ、震災後、被災地では新聞情報が信用され、多くの被災者が新聞を読み続けたのだと思う」(金山教授)

■福島の新聞社は

 1986年のチェルノブイリ原発事故以降最悪の原発事故が起きた福島第1原発から半径20キロの警戒区域では、数万人の住民が避難を余儀なくされた。このことは福島県で最大の発行部数を誇る福島民報(Fukushima Minpo)にとって大きな挑戦だった。

 福島民報の早川正也(Masaya Hayakawa)編集局報道部長は「記者を突き動かしていたのは原発事故の現場で何が起きているのか、地元の人々は何を思い、何を求めているのかを伝えなければならないという記者としての使命感だったと思う」と語る。

 だが同紙もまた震災の犠牲者だった。購読者の多くが被災地を離れたため、発行部数は2月の30万458部から11月には25万1198部にまで減少した。

■将来は厳しい状況か

 専門家らは将来的にはまだまだ課題があると指摘する。

「情報収集手段が多様化する中、アメリカや他の先進国で起きていることは早晩日本で起きる。日本の新聞業界にもきびしい状況が待ち受けている」と、金山教授は語った。(c)AFP/Shingo Ito