バンクーバーで生まれた環境保護団体グリーンピース、発足から40年
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【9月14日 AFP】米国がアラスカ(Alaska)で行った核実験の後、何匹ものラッコの死体が浜辺に打ち上げられたことを知らせる1本の電話が、後に世界規模の環境団体に成長するグリーンピース(Greenpeace)誕生のきっかけだった。
15日に発足から40年となるグリーンピースは、カナダ西海岸のバンクーバー(Vancouver)市でこの電話を受けて署名を始めたアービング・ストウ(Irving Stowe)さんと妻のドロシー(Dorothy)さんが立ち上げた「Don't Make A Wave」(波を起こすなの意)というグループからスタートした。核実験で津波が起こることを懸念しての名前だった。
娘のバーバラ・ストウ(Barbara Stowe)さんは、アラスカのアムチトカ島(Amchitka Island)で米国が核実験をした後に「打ち上げられたラッコたちの鼓膜は、爆発で破れていた」という電話を父親が受けたことを覚えている。
ストウ夫妻はそろってクエーカー教徒で、ベトナム戦争中に米国から移住してきた平和活動家だった。ふたりは他の活動家たちと共に、核実験を監視するため現地に船を派遣する計画を発表した。すぐにカナダ、そして世界中から反応があり、1度に2ドルずつ送られてきた。
こうしてその船、「グリーンピース」号は1971年9月、バンクーバーから初航海に出た。アムチトカ島にたどり着く前に米沿岸警備隊に制止されたが、世界の関心を高めることには成功し翌年、米国は核実験を中止した。
■自然と多文化都市バンクーバーで誕生
グループ名を「グリーンピース」に変更した団体は、数年後には生誕の地を飛び出すほどに成長した。現在は本部をオランダのアムステルダム(Amsterdam)に置き、世界数十か国に支部がある。
しかし関係者らは、海と山と森に囲まれ、人種的に多様な背景をもつバンクーバーという街こそが、グリーンピース誕生の鍵だったと振り返る。グリーンピース・カナダのブルース・コックス(Bruce Cox)事務局長は、「グリーンピースは時代の産物だったと共に、あの場所が生んだものでもある」と語る。
元来バンクーバーは北米西海岸の豊かな先住民文化の中心地だったが、1800年代以降はカナダ西部の資源経済の中心地となった。1960年代には多文化都市として、また米国の徴兵忌避者や、カウンターカルチャーのヒッピーたちが集う街として知られるようになった。
60年代に若きジャーナリストとして米国からバンクーバーへ移住し、グリーンピース号で航海した経験もある同団体創設者の1人レックス・ワイラー(Rex Weyler)氏も、バンクーバーでなければグリーンピースは誕生していなかっただろうと言う。「日系コミュニティも中国系コミュニティもあった。国際的な若者たちの運動があり、仏教徒やヒンズー教徒のコミュニティもあり、若いヒッピーたち、『大地へ帰れ運動』の人たち。私たちは環境系の運動を立ち上げたかった。公民権運動があり、女性運動や平和運動があり、欠けていたのは本当の意味での環境運動だった」
グリーンピースは激動の軌跡をたどってきた。近年はアザラシ猟や遠洋での日本の調査捕鯨船に対する抗議行動があまりに挑発的になっていると、厳しく批判されてもいる。しかし政府や企業・団体などからではなく個人からの寄付でのみで資金を集めて団体としての独立性を保ち続けており、しっかりした科学研究に大きく貢献している点は賞賛されている。
環境影響の指標「エコロジカル・フットプリント(Ecological Footprint)」の共同提案者で、ブリティッシュ・コロンビア大学(University of British Columbia)のウィリアム・リーズ(William Rees)教授は「(グリーンピースは)これからも最も強力で尊敬を集める環境団体の1つであり続けるだろうし、この街で誕生したことを知っているバンクーバーっ子は皆、そのことを誇りに思っていると思う」と語った。
今週、40周年を祝うために世界各地のグリーンピース関係者たちがバンクーバーに集まる。(c)AFP/Deborah Jones
15日に発足から40年となるグリーンピースは、カナダ西海岸のバンクーバー(Vancouver)市でこの電話を受けて署名を始めたアービング・ストウ(Irving Stowe)さんと妻のドロシー(Dorothy)さんが立ち上げた「Don't Make A Wave」(波を起こすなの意)というグループからスタートした。核実験で津波が起こることを懸念しての名前だった。
娘のバーバラ・ストウ(Barbara Stowe)さんは、アラスカのアムチトカ島(Amchitka Island)で米国が核実験をした後に「打ち上げられたラッコたちの鼓膜は、爆発で破れていた」という電話を父親が受けたことを覚えている。
ストウ夫妻はそろってクエーカー教徒で、ベトナム戦争中に米国から移住してきた平和活動家だった。ふたりは他の活動家たちと共に、核実験を監視するため現地に船を派遣する計画を発表した。すぐにカナダ、そして世界中から反応があり、1度に2ドルずつ送られてきた。
こうしてその船、「グリーンピース」号は1971年9月、バンクーバーから初航海に出た。アムチトカ島にたどり着く前に米沿岸警備隊に制止されたが、世界の関心を高めることには成功し翌年、米国は核実験を中止した。
■自然と多文化都市バンクーバーで誕生
グループ名を「グリーンピース」に変更した団体は、数年後には生誕の地を飛び出すほどに成長した。現在は本部をオランダのアムステルダム(Amsterdam)に置き、世界数十か国に支部がある。
しかし関係者らは、海と山と森に囲まれ、人種的に多様な背景をもつバンクーバーという街こそが、グリーンピース誕生の鍵だったと振り返る。グリーンピース・カナダのブルース・コックス(Bruce Cox)事務局長は、「グリーンピースは時代の産物だったと共に、あの場所が生んだものでもある」と語る。
元来バンクーバーは北米西海岸の豊かな先住民文化の中心地だったが、1800年代以降はカナダ西部の資源経済の中心地となった。1960年代には多文化都市として、また米国の徴兵忌避者や、カウンターカルチャーのヒッピーたちが集う街として知られるようになった。
60年代に若きジャーナリストとして米国からバンクーバーへ移住し、グリーンピース号で航海した経験もある同団体創設者の1人レックス・ワイラー(Rex Weyler)氏も、バンクーバーでなければグリーンピースは誕生していなかっただろうと言う。「日系コミュニティも中国系コミュニティもあった。国際的な若者たちの運動があり、仏教徒やヒンズー教徒のコミュニティもあり、若いヒッピーたち、『大地へ帰れ運動』の人たち。私たちは環境系の運動を立ち上げたかった。公民権運動があり、女性運動や平和運動があり、欠けていたのは本当の意味での環境運動だった」
グリーンピースは激動の軌跡をたどってきた。近年はアザラシ猟や遠洋での日本の調査捕鯨船に対する抗議行動があまりに挑発的になっていると、厳しく批判されてもいる。しかし政府や企業・団体などからではなく個人からの寄付でのみで資金を集めて団体としての独立性を保ち続けており、しっかりした科学研究に大きく貢献している点は賞賛されている。
環境影響の指標「エコロジカル・フットプリント(Ecological Footprint)」の共同提案者で、ブリティッシュ・コロンビア大学(University of British Columbia)のウィリアム・リーズ(William Rees)教授は「(グリーンピースは)これからも最も強力で尊敬を集める環境団体の1つであり続けるだろうし、この街で誕生したことを知っているバンクーバーっ子は皆、そのことを誇りに思っていると思う」と語った。
今週、40周年を祝うために世界各地のグリーンピース関係者たちがバンクーバーに集まる。(c)AFP/Deborah Jones