【9月7日 AFP】ヒマラヤの奥深くに位置する王国ブータンでは、悪霊を退散させるシンボルとして太古から、家の壁面に男根が描かれてきた。しかし、近代化が進む同国の首都ティンプー(Thimphu)では、この男根画をめったに見かけなくなってきている。

 今でも地方部ならば全国に存在するこの伝統的な絵柄が首都から消えつつあることは、外部の影響から独自の文化をひたすら守り続けてきたブータンの水面下で、大きな変化が起きていることを示唆している。

 インドと中国の間の地政学的に脆弱(ぜいじゃく)な位置にありながらも、一度も植民地化されたことのないブータンでは、西洋的な価値観の影響を恐れ、1974年まで外国人観光客が訪問したことはなく、1999年までテレビ放送は禁止されていた。

■男根で女悪魔を撃退した聖人の伝説

 ティンプー郊外、首都を流れる川のそばに立つ自宅玄関の両脇に高さ2メートルの男根の絵が描かれていることを、ツェワン・ニダップ(Tshewang Nidup)さん(46)は誇りに思っている。「私たちは男根があれば悪霊が退散すると信じている。だからシンボルとしてのペニスが重要になった」。ニダップさんの6人の子どもたちはこの絵柄に関心を示していないようだ。

 ブータン文化における男根の歴史は、伝説の人物ドゥルクパ・クンレイ(Drukpa Kunley)に由来する。「聖なる狂人」とも呼ばれるドゥルクパ・クンレイは、15~16世紀にブータン国中を放浪し、女性を誘惑する一方で悪魔と戦ったチベット仏僧とされている。

 ブータンの聖人として親しまれているこの仏僧は、信徒らを使って空中浮揚や火吹きなどの奇術を行ったという。「彼はやって来て、自分の男根を使って女悪魔たちを屈服させたんだ」とニダップさんは語る。ニダップさんは敬けんな仏教徒で、ブータンの格言を集めた書籍を共同執筆した。「彼は瞑想で内なる炎をたぎらせ、それで男根を熱い鉄の棒に変えて、女悪魔たちを燃やしたのだ」。この言い伝えから、ブータンの地方部の家では貢ぎ物の一種として、また悪魔撃退や不妊を防ぐために、男性器の絵画や彫刻があしらわれている。

■「少し恥ずかしさを感じるようになったようだ」

 だが、マンションやショッピングセンターの建設ラッシュにより、都市を抱く急勾配の谷間の景色が変ぼうを遂げているティンプーでは、人びとの態度が変わってきた。

「ここの人びとは少し、恥ずかしさを感じるようになったようだ」と、シンクタンク「ブータン研究センター(Centre for Bhutan Studies)」の研究員ダショー・カルマ・ウラ(Dasho Karma Ura)氏は語る。「都市の住民は、西洋において適切とされるイメージのほうに、はるかに影響を受けている。こういったもの(男根絵)は他では見かけないですから」

 国の発展を測る際、国民総生産(Gross National Product)を尺度とする経済的な発展ではなく「国民総幸福量(Gross National Happiness)」を目標に掲げていることで有名なブータンでは、自国文化の保護は開発の四本柱の1つだ。

 政府庁舎では伝統衣装の着用が国民に義務付けられており、公立学校では瞑想が行われ、宗教的な祭りは広く支持を得ている。また観光は、環境と社会への影響を抑えるために制限されている。外国人訪問者は、1日最低200ドル(約1万5000円)以上を支払うことが義務付けられ、ブータン人ガイドを同行させなければならない。

■都市の若者世代に西洋化の波

 政策の策定・提議を行っている国の機関、国民総幸福量委員会(Gross National Happiness Commission)のカルマ・ツェテーム(Karma Tshiteem)次官は「私の世代と子どもたちの世代の間に変化があるのは気づいている」と語る。「変化が特に目立つのはティンプーなどの都市部だ」。より大きな車を買うことが何よりも大事といった消費文化的な態度が忍び寄ってきていると言う。

 ツェテーム氏が最も懸念しているのは、12年前までブータンが水際ではねのけてきたものだ。「テレビを通じた影響が最も大きい。10ドル以下で40~50チャンネルを見ることができる。ホームコメディやそういった類いの番組に付随する価値観(が問題)だ」

 首都の路上では伝統衣装を着た人びとが、見るからに新品のトレーナーに野球帽姿の若者たちと入り交じり、ブータンの国技である弓術の矢を売る店の隣には、コーラを飲みながら携帯電話でフェイスブック(Facebook)を見る若者があふれるゲームセンターが並んでいる。

 土曜の夜には「音のデパート」と名づけらたクラブで、10~20代の大勢の若者たちが踊り、タバコを吸い、ナンパをし、酒を飲むという東京や香港などの現代のアジア都市ではよくある光景が繰り広げられる。

 ブータン研究センターのウラ研究員は、求職者がますます集まっているティンプーで、人びとの男根に対する態度が変わったのは、世代間の分断と、同時に都市部と地方部の分断が広がっていることの表れだと語る。

 ブータンでは、今も国民の7割がヒマラヤ山脈の谷間にある山村で暮らしている。多くの地域は現在でも徒歩でしか近寄ることができない。ウラ氏によればこれらの地域では、木製の男根像が今も「好色で風刺的な」地元の祭で使われたり、野原に置かれて動物を守ったりしている。「人はたいてい、何かを失うまでそれに気づかない。失ってから始めて気づくのだ。仏教の価値観の影響下にあるブータン文化は、保存されるべき価値の非常に高いものだ」(ウラ研究員)

 さらにウラ氏は、男性器の絵や像を公共の場に描いたり置いたりすることには、今でも良い効果があると説明する。それは人びとに誘惑について忠告し、男性による意味のない物事の独占を警告し、性行為がごく普通に存在することを思い起こさせる。

 ツェワン・ニダップさんは、ティンプーの外れにある見晴らしポイントから原生林の山々と雪解け水を眺めながら、ティンプーにはあまりに多くの変化が訪れていると懸念を口にした。「観光客は早めに来た方がいい。10年もすれば、(伝統は)すべてなくなっているかもしれない」。(c)AFP/Adam Plowright