【4月11日 AFP】ポーランドのレフ・カチンスキ(Lech Kaczynski)大統領らが乗った政府専用機がロシア西部スモレンスク(Smolensk)で墜落し、95人が犠牲となった事故から10日で1年を迎えたが、事故現場にポーランドが建てた追悼碑がロシア政府によって取り替えられていたことが明らかになり、両国間にきしみが生じている。

■消えた「カチンの森」への言及

 カチンスキ大統領らポーランド政府代表団は前年4月10日、第二次世界大戦中に旧ソビエト連邦の秘密警察がポーランド軍将校を大量虐殺した「カチンの森事件」の追悼式典に出席するため、ロシアのカチン(Katyn)に向かう途中、濃霧の中で墜落事故に遭った。

 事故の遺族ら約40人は9日、追悼のため事故現場を訪れ、ポーランド語で追悼文を記した御影石の追悼碑が、別のものに交換されているのを発見した。ロシア側が新たに設置した追悼碑の碑文は、ポーランド語とロシア語で併記され、元のものより短いうえ、元の碑文には記されていた「カチンの森事件」への言及が削除されていた。

 ポーランド政府は、ただちにロシア側の対応を非難する声明を発表した。

■ロシア、真っ向から反論
 
 これに対しロシア外務省は、「ロシアの公用語はロシア語だということを、ポーランド政府は知らないのか」と述べる声明を発表。ポーランド側が設置した追悼碑は「暫定的」なものに過ぎず、事故に相応しいよう両国の言葉を併記した追悼碑を設置したロシア側の努力を、ポーランド政府は無視していると反論した。

「騒動の元を作ったのはポーランド側だ。解決を呼びかけたのに、返答がなかった。したがって、ポーランド外務省のコメントには困惑している」(ロシア外務省)

 また、事故現場となったスモレンスク州知事も、現場は「カチンの森事件を追悼する場所ではない」と記者団に語った。

■和解ムードに水差す疑念

 ポーランド軍将校ら2万2000人が虐殺された「カチンの森事件」をめぐっては、旧ソ連政府が長年、事件の存在を隠蔽(いんぺい)してきた経緯があり、いまだにポーランドとロシアの外交関係に影を落とす問題となっている。

 ロシア政府が事件の調査結果の一部を公表し、虐殺はヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)の命令によるものだったと認めたことで和解ムードへと移行しつつあったが、今回、ロシアによる追悼碑交換が発覚したことでポーランド国内では再びロシアへの疑念と不信感が高まっている。

 ポーランド外務省は、ブロニスワフ・コモロフスキ(Bronislaw Komorowski)大統領が11日に事故現場で行われる追悼式典で、交換された追悼碑には花輪を捧げない可能性を示唆。首都ワルシャワ(Warsaw)のロシア大使館前でも、数百人が抗議運動を展開した。(c)AFP/Valery Kalinovsky