【5月6日 AFP】酢を含ませた海綿、ザクロの果肉、オリーブオイル――。世のカップルたちは、何世紀もの間、独創的な避妊法を編み出し、その結果に一喜一憂してきた。

 女性たちは20世紀半ばになって、経口避妊薬(ピル)という発明品に出会うことになる。これは、妊娠の制御において高い信頼性を発揮するだけではなく、性革命をももたらすことになる。

■ピル誕生までの歴史

 世界初のピルは、1955年、米国のグレゴリー・ピンカス(Gregory Pincus)博士によって開発された。米食品医薬品局(US Food and Drug AdministrationFDA)により販売が認可されたのは、1960年5月9日のことだった。
 
 西ドイツでは、これより前の1956年に発売された。フランスでは、カトリック教会からの反発が強く、発売は1967年まで待たなければならなかった。

 ピルの製造への道を開いたのは、20世紀初頭、女性ホルモンが発見されたことだった。1920年代、ドイツで女性ホルモンを使った世界初の生殖制御実験が行われる。

 そして1922年、科学者のルートヴィヒ・ハーベルラント(Ludwig Haberlandt)が、世界で初めて、排卵を妨げる注射用ホルモン避妊薬を作製。ウサギを使った実験で有効性が実証された。  

■ピル開発の立役者となった2人の女性

 ピルの大量生産の陰には、看護師のマーガレット・サンジャー(Margaret Sanger、1879-1966)とその友人のキャサリン・デクスター・マコーミック(Katherine Dexster McCormick、1875-1967)という2人の米国人女性がいた。サンジャーは全米家族計画連盟(Planned Parenthood Federation of America)の創設者。マコーミックは、マサチューセッツ工科大(Massachusetts Institute of TechnologyMIT)の開校以来、女性としては2人目の卒業生という才女であった。

 2人はピンカス博士に対し、ピルを早急に開発するよう説得した。その資金は、マコーミックが女性権利団体などから200万ドルの寄付を集めるなどして工面した。

 1951年にメキシコの化学者ルイス・ミラモンテス(Luis Miramontes)が女性ホルモンの一種、プロゲステロンの複製に成功したことが、ピルの実現可能性を一層高めることとなった。

 ピンカス博士は同じ年、米マサチューセッツ州に研究所を設立。そして1955年、産婦人科医ジョン・ロック(John Rock)の協力のもと、世界初のピルの開発に成功した。翌年、この種の薬の臨床試験が認められているプエルトリコで250人の女性に対する臨床試験を実施。女性ホルモンの一種、エストロゲンを含んだピルでも実験を行い、プロゲステロンとエストロゲンを両方含んだピルでは効果がさらにアップすることを突き止めた。

■エイズの大流行で問われるピルの存在意義

 ピルは1957年、女性のホルモン障害の治療薬として病院向けに販売された。1960年代になって市販が開始されるも、法律では1972年まで、購入できるのは既婚女性のみと規定されていた。

 ピルは、女性に対し初めて確実な避妊という安心感を与えたことで、カジュアルセックスの爆発的な流行といった性革命をもたらす原動力となったと考えられている。

 しかし1980年代のエイズの大流行は、ピルにとって大きな転換点となった。現在、専門家の多くは、避妊と性感染症防止の2つの役割を兼ね備えたコンドームの使用を強く推奨している。(c)AFP/Jean-Louis Santini