【12月24日 AFP】これまでに最もヒットしたクリスマスの歌といえば、今年誕生から65年を迎える「ザ・クリスマス・ソング(The Christmas Song)」だ。

 しかし、この歌詞に散りばめられたサンタクロースやジャック・フロスト(霜の妖精)といった牧歌的な冬のシンボルとは裏腹に、ジャズシンガーの大御所メル・トーメ(Mel Torme)とピアニスト、ボブ・ウェルズ(Bob Wells)が作曲したのは1944年、焼けつくように暑い真夏の午後のロサンゼルス(Los Angeles)でだった。

 2人はこの「ザ・クリスマス・ソング」を1時間もかからずに一気に書き上げた。うだるような暑さを紛らわそうとウェルズが考えたのが「涼しい」この歌詞だ。

 最初のレコーディングは1946年、巨匠のジャズ・ピアニスト兼シンガーのナット・キング・コール(Nat "King" Cole)によるもので、彼が演奏しているさまざまなバージョンがよく知られているほか、女性ジャズ・シンガーのエラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)や伝説的R&B歌手レイ・チャールズ(Ray Charles)といった巨人から、最近では米歌手のクリスティーナ・アギレラ(Christina Aguilera)まで、この曲をカバーしたミュージシャンは100人を下らない。

 現在この曲の著作権を管理しているのは、メル・トーメの代理人を35年間務めた音楽マネージャーのベテラン、デール・シーツ(Dale Sheets)氏で、毎年殺到する何十もの使用許諾の要請に許可を出すかについて検討している。シーツ氏いわくこの曲が長年人びとに愛されている理由は、「クリスマスは年に一度、誰もが楽しめるとき」だという歌詞のメッセージにある。

 シーツ氏によると、メル・トーメが1944年7月、ロサンゼルスのトルーカ・レイク(Toluca Lake)近郊にあったウェルズの家を訪ねたとき、ほとんど偶然にこの曲はできた。「その月で最も暑い日だった。居間に入ったメルは、メモ・パッドにボブが思いつくままに書きつけた言葉を見つけたんだ。そこに書いてあったのが最初の一節、『暖炉ではじける焼き栗』だ。このメモを見て、メルはボブに『何をしようとしてたんだい?』と聞いたんだ」

 ボブ・ウェルズの答えはこうだった。「あまりに暑いんでプールにも入ったし、水シャワーも浴びたし、片っ端から試したけれどダメなんで、なんか涼しくなることを思い浮かべようとしたのさ」。メル・トーメは「ここから歌ができるよ」と言い、その後2人は40分で後のクリスマスの定番ソングを仕上げた。

 後にトーメ自身もレコーディングしたが、2人は最初ナット・キング・コールにこの曲を持ち込んだ。コールはまさに自分にぴったりの歌だとふたつ返事だったという。コールの最初のバージョンは1946年6月、ニューヨークのWMCAラジオのスタジオで録音されたものだが、最も有名になったのは61年、ハリウッド(Hollywood)のキャピトル・スタジオ(Capitol Studios)で録音したバージョンだ。

 この曲を収録したコールのクリスマス・アルバムは定番となり、2006年には「ホワイト・クリスマス(White Christmas)」を抜いて過去最も売れたクリスマス・ソングになった。「クリスマス・アルバムを作ろうというミュージシャンはみんな、この曲を使いたがる。申し込みのリストは年々長くなっている」

 ただし、使用の許可にあたっては厳密に検討しているとシーツ氏は語る。「メルもボブも曲が使用される場面や雰囲気に厳しかった。魅力のあるシーンでないときや曲のレベルに見合わない場合には、使用を断わることもある」(c)AFP/Rob Woollard