ノーベル平和賞、受賞をめぐる論争の歴史
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【12月10日 AFP】今年のノーベル平和賞はバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領の受賞をめぐって論争が巻き起こったが、100年を超える同賞の歴史をふり返ると、受賞者決定をめぐる論争は枚挙にいとまがない。
10月9日のオバマ大統領受賞決定の報は、世界中を驚かせただけでなく、受賞者本人をも驚かせた。瞬く間に広がった「時期尚早」との見方が、授賞式の直前に発表されたアフガニスタンへの3万人増派計画で再燃している。
だが、1901年に初めてノーベル平和賞が授与されて以降、今年にも増してショッキングだった例は少なくない。
■「初論争」も米大統領
「初めて論争が起こったのは、1906年のセオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)米大統領だ」と、ノーベル平和賞に関する著書を執筆したAsle Sveen氏は指摘する。軍事力をちらつかせた外交政策「こん棒外交(Big Stick Policy)」を行ったルーズベルト米大統領を、多くの歴史家は「ピースメーカー」というよりむしろ「戦争屋」とみなしている。
1919年には、トーマス・ウッドロー・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)米大統領が受賞。これは、選定を行うノルウェー・ノーベル委員会(Norwegian Nobel Committee)の委員の1人が、同大統領が調印に尽力した第一次世界大戦の講和条約であるベルサイユ条約(Versailles Treaty)について、敗戦国ドイツを辱める結果となり第二次大戦へつながったと主張して辞任をちらつかせたのを押し切っての決定だった。
■外交問題に発展しかけたことも
1935年、ヒトラー(Hitler)政権によって収監された反ナチス(Nazi)のドイツ人反戦活動家、カール・フォン・オシエツキー(Carl von Ossietzky)氏の受賞が決定した際には、選考にノルウェー政府が関与しているとの印象を与えないようにする配慮から、当時のノルウェー外相と元外相の2人が決定前に委員を辞退した。ヒトラーは受賞決定に激怒し、ドイツ人の受賞を禁止。ノルウェー国王はその年の授賞式を欠席した。
一方、選考から脱落した候補者をめぐり、議論が巻き起こることもある。
選考委員会のゲア・ルンデスタッド(Geir Lundestad)事務局長は、インド独立運動の指導者マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi)を例に挙げ、ガンジーが受賞者から漏れたことは「大きな罪」だと語った。1948年にガンジーが暗殺された後、授賞が検討されたが、死後に賞を与えることはできないため断念した経緯がある。
■辞退者が出たことも
1973年には、ベトナム戦争の停戦交渉への尽力をたたえ、ベトナムの革命家レ・ドク・ト(Le Duc Tho)とヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)米国務長官の授賞が決定したが、すでに1975年のサイゴン総攻撃を計画していたレ・ドク・トは受賞を辞退。キッシンジャー国務長官も、むしろ「ノーベル戦争賞(The Nobel War Prize)」に値すると米紙ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)に批判され、抗議デモを恐れて授賞式を欠席した。委員2人が辞任したほか、同国務長官も賞の辞退を申し出たが、認められなかった。
翌1974年の佐藤栄作(Eisaku Sato)首相の受賞にも、賛否両論があった。核拡散防止への取り組みが評価されての受賞だったが、後に機密解除された文書によると、佐藤首相は実際には日本の「非核三原則」に否定的で、米国の「核の傘」を求めていた。
■オバマ氏の受賞は比較的妥当?
Sveen氏は、これらの受賞者に比べると、オバマ大統領の受賞はそれほど論争を呼ぶものではないと結論づけている。
米紙USAトゥデー(USA Today)が10月に掲載した世論調査によると、米国民の61%がオバマ大統領の受賞に否定的だった。しかしルンデスタッド事務局長は、「(1979年に受賞した)マザー・テレサ(Mother Teresa)のように、異論の出そうにない人物を選んだ時も多くの批判があった」と語っている。(c)AFP/Pierre-Henry Deshayes
10月9日のオバマ大統領受賞決定の報は、世界中を驚かせただけでなく、受賞者本人をも驚かせた。瞬く間に広がった「時期尚早」との見方が、授賞式の直前に発表されたアフガニスタンへの3万人増派計画で再燃している。
だが、1901年に初めてノーベル平和賞が授与されて以降、今年にも増してショッキングだった例は少なくない。
■「初論争」も米大統領
「初めて論争が起こったのは、1906年のセオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)米大統領だ」と、ノーベル平和賞に関する著書を執筆したAsle Sveen氏は指摘する。軍事力をちらつかせた外交政策「こん棒外交(Big Stick Policy)」を行ったルーズベルト米大統領を、多くの歴史家は「ピースメーカー」というよりむしろ「戦争屋」とみなしている。
1919年には、トーマス・ウッドロー・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)米大統領が受賞。これは、選定を行うノルウェー・ノーベル委員会(Norwegian Nobel Committee)の委員の1人が、同大統領が調印に尽力した第一次世界大戦の講和条約であるベルサイユ条約(Versailles Treaty)について、敗戦国ドイツを辱める結果となり第二次大戦へつながったと主張して辞任をちらつかせたのを押し切っての決定だった。
■外交問題に発展しかけたことも
1935年、ヒトラー(Hitler)政権によって収監された反ナチス(Nazi)のドイツ人反戦活動家、カール・フォン・オシエツキー(Carl von Ossietzky)氏の受賞が決定した際には、選考にノルウェー政府が関与しているとの印象を与えないようにする配慮から、当時のノルウェー外相と元外相の2人が決定前に委員を辞退した。ヒトラーは受賞決定に激怒し、ドイツ人の受賞を禁止。ノルウェー国王はその年の授賞式を欠席した。
一方、選考から脱落した候補者をめぐり、議論が巻き起こることもある。
選考委員会のゲア・ルンデスタッド(Geir Lundestad)事務局長は、インド独立運動の指導者マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi)を例に挙げ、ガンジーが受賞者から漏れたことは「大きな罪」だと語った。1948年にガンジーが暗殺された後、授賞が検討されたが、死後に賞を与えることはできないため断念した経緯がある。
■辞退者が出たことも
1973年には、ベトナム戦争の停戦交渉への尽力をたたえ、ベトナムの革命家レ・ドク・ト(Le Duc Tho)とヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)米国務長官の授賞が決定したが、すでに1975年のサイゴン総攻撃を計画していたレ・ドク・トは受賞を辞退。キッシンジャー国務長官も、むしろ「ノーベル戦争賞(The Nobel War Prize)」に値すると米紙ニューヨーク・タイムズ(The New York Times)に批判され、抗議デモを恐れて授賞式を欠席した。委員2人が辞任したほか、同国務長官も賞の辞退を申し出たが、認められなかった。
翌1974年の佐藤栄作(Eisaku Sato)首相の受賞にも、賛否両論があった。核拡散防止への取り組みが評価されての受賞だったが、後に機密解除された文書によると、佐藤首相は実際には日本の「非核三原則」に否定的で、米国の「核の傘」を求めていた。
■オバマ氏の受賞は比較的妥当?
Sveen氏は、これらの受賞者に比べると、オバマ大統領の受賞はそれほど論争を呼ぶものではないと結論づけている。
米紙USAトゥデー(USA Today)が10月に掲載した世論調査によると、米国民の61%がオバマ大統領の受賞に否定的だった。しかしルンデスタッド事務局長は、「(1979年に受賞した)マザー・テレサ(Mother Teresa)のように、異論の出そうにない人物を選んだ時も多くの批判があった」と語っている。(c)AFP/Pierre-Henry Deshayes