【7月6日 AFP】国際共通語を目指して人工的に作られた言語「エスペラント(Esperanto)」の創始者ルドビーコ・ラザロ・ザメンホフ(Ludwik Lazarz Zamenhof)の生まれ故郷であるポーランド・ビャウィストク(Bialystok)市当局は2日、ザメンホフの生誕150年を記念して、エスペラント語の自習ができるよう地元バスの車内にエスペラント語のパネルを設置すると発表した。車内広告の代わりに掲げられるパネルには、エスペラント語の単語や基本フレーズが掲載されるという。ポーランド通信(PAP)が報じた。

 この取り組みは、今月25日から来月1日まで開催される、世界各地のエスペランティスト(エスペラントの話者)による記念大会にあわせたもの。

 ザメンホフは1859年12月15日、ビャウィストクのユダヤ人家庭に生まれた。当時、帝政ロシアの一部だったビャウィストクは、ポーランド語やイディッシュ語、ベラルーシ語、ロシア語などの話者が共存する多民族地域だった。

 ザメンホフは、政治的なニュアンスや誤解などとは無縁で、世界平和に貢献できる普遍的な言語で意思疎通を図る日が来ることを夢見ていた。

 眼科医だったザメンホフは1887年、仕事の合間をぬって、ロマンス語やゲルマン語、スラブ語の各言語の語いに、ラテン語とギリシャ語の文法の一部を組み合わせ、エスペラントを考案した。エスペラントという言語名は、「希望」を意味するザメンホフのペンネームからつけられた。  ザメンホフは1917年に亡くなり、ワルシャワ(Warsaw)のユダヤ人墓地に埋葬されている。

 現在、エスペラントの話者は全世界で約200万人といわれている。(c)AFP