【5月6日 AFP】ドイル・ベルリン(Berlin)の旧博物館(Altes Museum)にある3400年前のものとされるネフェルティティ(Nefertiti)王妃の胸像が、実は古代エジプト人たちが使用していた顔料の発色を調べる目的で1912年頃に制作された「複製品」だった――スイスの著名な美術史家、アンリ・スティルラン(Henri Stierlin)氏が、最近出版した自著のなかでこのような説を展開している。

 エジプト、中東、古代イスラム世界に関する多数の著書があるスティルラン氏によると、くだんの胸像は、ナイル(Nile)川河畔での発掘に携わっていたドイツの考古学者ルートウィヒ・ボルハルト(Ludwig Borchardt)が、王妃が所有していたネックレスを実際に身につけさせ、さらに発掘現場で見つかった古代の顔料の着色試験も兼ねて、Gerardt Marksという名の彫刻家に作らせたものだという。

 だが1912年12月6日、この胸像を目にしたドイツの皇太子に「本物」であると称賛されたボルハルトには、真実を告げる勇気がなかったのだとスティルラン氏は主張する。

 ネフェルティティの胸像を25年間研究してきた同氏は、これが複製品であるとするいくつかの根拠を挙げている。 

 まず、左眼が彫られていないこと。これは、像を本人と見なしていた古代エジプト人にとっては不敬にあたる。

 次に、肩が19世紀以降のアール・ヌーボー(Art Nouveau)風を思わせるように、垂直方向にカッティングされていること。古代エジプトの彫像は、肩が水平方向にカッティングされているという。

 さらに、発掘現場に居合わせたフランス人の考古学者らは、胸像について一切言及しておらず、発見に関する記録も残していないこと。また、極めて重要な発見にもかかわらず、ボルハルトは詳しい報告をしていないばかりか、この胸像をスポンサーの自宅に10年間も放置していたという。

 胸像に関する科学的な報告書が発表されたのは、「発見」から11年後の1923年のことだった。

 なお、この胸像が何年に制作されたかは、石の本体にしっくいが塗られているという構造のため、科学的な推定は不可能だという。 

 エジプト政府は、この胸像が1923年に初めて展示されて以来、ドイツ政府に対し、「独特なかぶりものをしている」この像の返還を求めている。ネフェルティティ王妃の胸像は、現在修復工事中で今年10月に再開予定の新博物館(Neues Museum)に移されることになっている。(c)AFP