【5月2日 AFP】米陸軍が公開した、第2次大戦中に日本軍が使用した風船爆弾の写真。1945年1月10日にカリフォルニア(California)州アルトゥラス(Alturas)西方で米海軍の航空機によって落とされたものを、同州にある海軍航空基地で膨らませて撮影した。

 風船爆弾は第2次大戦中に日本軍が考案した爆弾の一種で、直径約10メートル、和紙でできている。大気高層のジェット気流に乗せて約8000キロの距離を飛び北太平洋を横断してアメリカ本土を攻撃した。この爆弾を米国の太平洋沿岸北西部の森林地帯で爆発させて大規模な山火事を発生させ、太平洋戦線の米軍兵力の一部を本土の消火活動に向けさせることを狙っていた。

 1945年3月5日、オレゴン(Oregon)州の森に落ちた風船爆弾を自分たちのキャンプに運ぼうとしていた日曜学校の生徒5人とキリスト教聖職者の妻が爆死した。これは第2次世界大戦中にアメリカ本土で風船爆弾軍によって唯一、死者がでた事例とされている。この悲劇をきっかけに風船爆弾の存在が米国民に知られるようになったが、日本側が戦果を確認してさらに爆弾を送り込まないよう、米政府は風船爆弾について厳重な報道管制を敷いた。

 戦後、風船爆弾による犠牲者の遺族には特別見舞金が支給された。(c)AFP