【3月24日 AFP】旧ユーゴスラビア連邦セルビア共和国のコソボ(Kosovo)自治州(当時)独立をめぐり、北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty OrganizationNATO)がユーゴ空爆を開始した日から、24日で10年が経った。同日セルビアでは、ボリス・タディッチ(Boris Tadic)大統領率いる新欧米派の政府と、セルビア民族主義強硬派が別々に10年を記念する集会を開いた。

 前日の23日、米ニューヨークで開かれた国連安全保障理事会(UN Security Council )の冒頭に演説したタディッチ大統領は、NATO空爆について「悲劇的な軍事行動」だったと表現した。
 
 ユーゴ南部コソボを舞台としたコソボ紛争で、連邦からの独立を求めたコソボ自治州のアルバニア系住民とアルバニア系武装組織コソボ解放軍(Kosovo Liberation ArmyKLA)に対し、当時のスロボダン・ミロシェビッチ(Slobodan Milosevic)ユーゴ大統領は軍によって弾圧した。その後、ミロシェビッチ大統領が和平案の受諾を拒絶したため、NATOは1999年3月24日、安保理の承認を得ずにユーゴ空爆を開始した。

 攻撃目標は軍事施設や、放送局などミロシェビッチ大統領のプロパガンダ施設、インフラの切断などだったが、民間施設が空爆されたり、セルビアの首都ベオグラード(Belgrade)の中国大使館までもが誤爆された。国際人権監視団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ(Human Rights WatchHRW)」によると、空爆開始から78日後にミロシェビッチ大統領が和平案を受け入れるまでに、空爆の犠牲となった民間人の死者は約500人に達した。

 2008年2月、アルバニア系が占めるコソボ自治州議会は、コソボ共和国としてセルビアからの独立を宣言し、56か国が承認したが、現在もNATO軍を主力とする国際治安部隊(KFOR)1万5000人が治安維持に当たっている。(c)AFP/David Vujanovic