【1月1日 AFP】キューバは1日、50回目の解放記念日を迎える。この国の老若男女は50年前の革命についてさまざまな感情を抱いている。

 南東部サンティアゴデクーバ(Santiago de Cuba)に住むドゥルセ・マリア・アランス(Dulce Maria Arranz)さん(85)は、フィデル・カストロ(Fidel Castro)前国家評議会議長らが率いたキューバ革命に自らも加わった。この節目にあたり革命について次のように評価している。「共産主義は好きではないが米国も気に入らない。わたしたちには、まだまだやるべきことがある」

 古い質素な自宅で椅子に座ってくつろぐアランスさんは、米国を後ろ盾とするフルヘンシオ・バティスタ(Fulgencio Batista)大統領が失脚し歴史が変った50年前を昨日のことのように思い出すという。サンティアゴデクーバは、カストロ前議長が青年期の一時期を過ごした場所で、前議長らが襲撃したモンカダ兵舎(Moncada Barracks)があった。

 革命当時、その変革は民主化のためだと人びとは信じており、カストロ前議長も公には共産主義を受け入れてはいなかった。その後、冷戦中の反米同盟国からの支援を受け、共産主義が採用されると、落胆するキューバ人もいれば、カストロ前議長に従う人びともいた。

 アランスさんは、カストロ前議長らを「山奥から出てきた少年たち」と呼び、革命勢力のために武器や医療品をどのように天井やトイレのタンクに隠したかを誇らしげに語った。

「わたしはかつて小さな店を持っていた。フィデルが来ると私を仕事を失ったが、私はフィデルについて悪く言ったことは一度もない。誰でも最後は手ぶらで死ぬもんさ」。アランスさんは月々200ペソ(約810円)の年金で満足しているという。

■「何のための革命だったのか?」生活水準に不満の声も

 アランスさんによると、キューバ人はバティスタ政権下での圧政や、革命後のキューバの教育や医療がどれほど進歩したかということを忘れ始めているという。

 キューバでは、賃金の安さに不満で「何のための革命だったのか?」と疑問を口にする人もいる。変化を求める女子学生、自由を求めて将来は外国への移住を目指す大学生もいる。

 アランスさんは、彼女ほどの年になれば、そのようなことはすべて耳にしているという。

「生活が厳しい人はたくさんいるが、飢えているわけではない。改革とはぜいたくをすることではない」と、アランスさんは米マイアミ(Miami)に住むおいから贈られた薄型テレビの前で話す。解放記念日には、テレビでラウル・カストロ(Raul Castro)国家評議会議長を見ることになるだろうという。「フィデルは病気だからね。だれだって皆、必ず死ぬのさ」

 そしてアランスさんは、50年前に撮影された、誇らしげなポーズをとる自分の白黒写真が飾られた壁のそばで「フィデルを好きな人も、そうでない人もいるということさ」と語った。(c)AFP/Isabel Sanchez