【9月29日 AFP】イラクのクルド人数学教師モハメド・アジズさん(37)にとって「他人に悪いことをされたからといって、仕返しして良いわけではない」という論法はない。サダム・フセイン(Saddam Hussein)政権中、バース党(Baath Party)によって住んでいた土地から強制追放された彼は今、復讐の想いを抱き帰って来た。

 イラク北部の都市カナキン(Khanaqin)に近いBawaplawi村から家族が立ち退かされたのは1975年、アジズさんが4歳のときだった。自宅はアラブ人の移住者に強奪された。

 今、教師となったアジズさんは、アラブ人にされたことと同じことをアラブ人に仕返している。「家を取られたとき、補償金なんてなかった。戻って来てから空だった家をもらったよ。ここに住んでいたアラブ人は逃げたんだ」。2003年にフセイン政権が崩壊して以来、アジズさんが住み着いているのは質素な平屋のれんが小屋だが、村のほとんどの家は泥の小屋だ。

 元はクルド系住民が大半を占め、シーア派アラブ系住民やトルコ系、ユダヤ系などが少数派のカナキンの人口分布は、故フセイン大統領の「アラブ化」政策によって変えられた。しかし、政権崩壊によってクルド系住民が帰還し、今や少なくともカナキン市内ではアラブ人の姿はまったく見かけない。

 モハメド・マラ・ハッサン(Mohammed Mala Hassan)市長(52)は「追放された人たちの90%は戻ってきた。残りの人たちも帰ってほしいが、基本的な施設を提供する資金がない」と嘆く。

 アジズさんのように帰還したクルド人たちは、当局の支給には頼らず、逃げ急ぐアラブ人たちが捨てていった土地を自分たちのものにした。アジズさんにとって、これは30年以上前に家族が受けた不当な仕打ちを正す行為なのだ。「彼らのしたことは間違いだった。われわれだって、1975年に同じように家を取られたのだ」

 室内はクルド人民兵組織「ペシュメルガ(Peshmerga)」の3色旗の赤、白、緑で彩られている。まるで、ここに住む権利を正当化する証にも見える。アジズさんは、ペシュメルガが存在するおかげでこの地域は安全で、イラク全土を襲ったような暴力はないと語った。

 国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)の最後の砦と呼ばれるディヤラ(Diyala)州のほかの地域と異なり、カナキンが彼らの侵入を許さなかったのは、ペシュメルガの力だとされている。

 しかし、イラン国境に近いカナキンは新たな火種となりかねない。未採掘の石油資源があり、さらにクルド自治政府(Kurdistan Regional GovernmentKRG)に近接しているからだ。カナキン市長は175村25万人を擁する同市をKRGに併合させ、治安が不安定でアラブ系住民が大半を占めるディヤラ州から切り離すことを望んでいる。

 フセイン政権のアラブ化政策の名残は、クルド系住民によって急速に薄められている。しかし、これが主にペシュメルガの影響力をめぐって、中央政府との新たな緊張を引き起こしている。

 それでも、アジズさんは自分の子どもたちの将来は明るいと思っている。フセイン政権崩壊からこれまでの5年間の出来事はすべて、カナキンを解放し、クルド国家の一部とするための道程だったと言う。「それがわたしの祖先たちの長年の願いだから」(c)AFP/Amal Jayasinghe