【8月17日 AFP】ジャズとサンバを融合させたブラジル独自の音楽・ボサノバがこの8月、誕生から50年を迎え、代表曲「イパネマの娘(The Girl from Ipanema)」を世界にもたらしたボサノバ創始者の一人、77歳のジョアン・ジルベルト(Joao Gilberto)が5年ぶりに舞台に立つ。

■ボサノバ創始者トリオの最後の1人、ジルベルトの5年ぶり公演

 リオデジャネイロ(Rio de Janeiro)とサンパウロ(Sao Paulo)で計3回予定されている公演のチケットは7日、発売からわずか1時間足らずで完売。ボサノバのシルキーなサウンド、そして耳元でそよぐようなジルベルトの歌唱の魅力と刺激が現在も健在なことを証明した。

 ボサノバ草創期に大きな役割を果たしたといわれる3人のうち、ジルベルト以外の作曲家アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)、詩人のヴィニシウス・ヂ・モライス(Vinicius de Moraes)はすでに亡くなっている。ジルベルトも過去5年間、公の場で歌ったことはなかった。

 しかしジルベルトに対する評価は、ギター・ソロで弾き語ったジョビン&モライス・コンビ作詞作曲の「シェガ・ジ・サウダージ、(Chega de Saudade、想いあふれて)」(英題:ノー・モア・ブルース)を発表した1958年8月以来これまで決して衰えることはなかった。

「シェガ・ジ・サウダージ」は、よりシンプルなサンバのリズムを複雑化し、独特な奥深いハーモニーを初めて展開させたボサノバ第1号といわれ、それまで数十年にわたり音楽界に大きな影響を与えていたジャズを新たに進化させた。米国ジャズ界の巨匠スタン・ゲッツ(Stan Getz)やチャーリー・バード(Charlie Byrd)はその魅力に揺さぶられ、ボサノバの普及に貢献した。

■世界的にボサノバを広めた「イパネマの娘」

 しかし、ボサノバを世界的に知らしめ、後にこのジャンルのスタンダードとなった曲は、ジルベルトとゲッツの共作で、ジルベルトの当時の妻アストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto)が歌った1962年の「イパネマの娘」だ。ポルトガル語の題名「ガロータ・ヂ・イパネマ」Garota de Ipanema」は英題「ザ・ガール・フロム・イパネマ」としてフランク・シナトラ(Frank Sinatra)を始め、すぐに多くの歌手がカバーした。

 この曲は、ジョビンとモライスが通っていたリオデジャネイロのビーチ、イパネマ(Ipanema)のカフェでよく見かけた背が高く美しい15歳の少女にヒントを得てできたといわれ、「彼女が歩くとき/彼女はサンバのよう/クールに優しく揺れる」と歌っている。英語版が世界のヒットチャートを急上昇したのは1963年。ジョビンは後に当時を回想して「僕たちの上にいたのはビートルズだけだった。彼らは4人いたからね」と冗談めかして述べたことがある。

■本家ブラジルでは「郷愁」になりつつあるのか
 
 ボサノバの創生を振り返ると、そこにはブラジルの若者、特に中流階級の若年層の間に当時広がっていた倦怠感と、変化に対する切望が凝縮されている。

「イパネマの娘」は1959年、フランス映画『黒いオルフェ(Black Orpheus)』のサウンドトラックに収録されたことでも多くの聴衆を獲得したが、これによりサンバ歌手で女優のカルメン・ミランダ(Carmen Miranda)が定着させた「果物ハットをかぶって歌って踊るトロピカルなブラジル」というハリウッド(Hollywood)的な先入観は塗り替えられた。

 1960年代中期、ボサノバはコパカバーナ(Copacabana)ビーチのアパートの窓辺からニューヨーク(New York)のジャズクラブまで、あらゆるところで耳にされるようになった。

 ボサノバの継承者として現在、筆頭に挙げられるカエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)は「ジョアン・ジルベルトを聴くことはまるで啓示を受けるようだった。僕は『シェガ・ジ・サウダージ』をぶっ続けで、何時間も、何時間も聴いた。こんな風に歌うことができる人間がいるなんて信じられなかった」と語っている。

 ジルベルト、ジョビン、さらにカルロス・リラ(Carlos Lyra)、セルジオ・メンデス(Sergio Mendes)、ルイス・ボンファ(Luiz Bonfa)といったブラジル人ミュージシャンの一派は、ニューヨークのカーネギーホールで大々的なボサノバ・コンサートを開いた。このとき、米国ジャズの2人の伝説的トランペッター、マイルス・デイビス(Miles Davis)とディジー・ガレスピー(Dizzie Gillespie)が聴衆の中にいた。

 今日リオデジャネイロでは、サンバから派生したジャンルや、米国のヒップホップやロックなど他の音楽ジャンルに、ボサノバは取って代わられつつある。しかし、ブラジルを象徴する海岸沿いの美しいこの街を描写する音楽として、ボサノバは根強く生き続けてもいる。

 ボサノバに関する著作のある作家ルイ・カストロ(Ruy Castro)は「40年前に比べれば今はいくらでも音楽アルバムがあるし、ボサノバはチャートの上位にいるわけではない。けれど、ボサノバ・スタイルは今も様々な年代の人たちによって取り上げられている」という。

 46年前、カーネギー・コンサートに出演したシンガー・ソングライターのカルロス・リラはもう少し冷めて見る。「今、リオのどこに行ったらボサノバを聴くことができるかと誰かに聞かれたら、そんなところはどこにもないよと言うだろう。ブラジルよりも、日本やヨーロッパでのほうが人気があるのがボサノバの現状だ」(c)AFP/Gerardo Maronna