【5月22日 AFP】民族間および宗教間の一触即発状態の対立により連邦制がすでに脆弱化(ぜいじゃくか)しているナイジェリアでは、40年前のビアフラ戦争はいまだに、国を「波乱含み」にさせる要因を含んだ話題だ。この戦争について取り上げない教科書も多い。

 ビアフラ戦争は、イボ人(Igbo)が多く住む石油埋蔵量の豊富な南東部がビアフラ共和国として独立を宣言した1967年7月に始まった。ビアフラのオジュク(Emeka Odumegwu Ojukwu)将軍によるこの独立宣言後、ナイジェリア連邦政府軍との戦闘が開始され、イスラム教徒が多い北部では数千人のイボ人が虐殺にあったとされる。戦争は1970年1月にビアフラ側が無条件降伏して終結した。100万人以上が飢えなどで亡くなったとされ、当時やせ細った子どもたちの写真が世界中の新聞に掲載された。

 しかし現在、この戦争について一切触れない教科書も多い。ある教科書は、20世紀のナイジェリア史があたかも英国からの独立を勝ち取った1960年で終わったかのように書いている。

「内戦があり、30か月続いた」の1行で終わるものもある。ビアフラ戦争の説明には数ページしか割かず、代わりに平均的な学童には難解な、前軍事政権の財政政策に同程度のページを費やす教科書もある。

 高校生でも、ビアフラ戦争について学ぶのは最終学年になってから。2回程度の授業で学ぶだけだ。

「あれは兄弟同士(イボ人とその他のナイジェリア人)の残忍な戦争だった。だからこそ政府は、あの苦い争いの経験を隠そうと意識的に努力してきた。この話題に深く立ち入ることで、若者を失望させ、国の結束の根幹に疑問を抱かせてしまうことを、政府は恐れている」とある歴史教師は語る。

 ラゴス大学(University of Lagos)のデビッド・アウォラウォ(David Aworawo)講師(歴史、国際関係)も、教育現場では国家を分裂させる要素よりも団結させる要素に力点が置かれる傾向があると指摘。「高等教育では(ビアフラ戦争について)生徒たちにもっと議論させる機会を与えるべきだ」と語った。

 学校のカリキュラムにほとんど取り上げられない一方で、ビアフラ戦争はしばしばフィクション・ノンフィクション小説の題材となってきた。ただしノンフィクション作品は、連邦政府側の元兵士やビアフラ側の元活動家によって書かれたものが多く、偏向的な内容となっている。

 一方フィクション作品は人間ドラマに焦点を当てたものが多い。たとえばC・N・アディーチェ(Chimamanda Ngozi Adichie)の長編小説『半分のぼった黄色い太陽(Half of a Yellow Sun)』がそうだ。同作は前年、英国の女流文学賞「オレンジ賞(Orange Broadband Prize for Fiction)」を受賞した。

■あの戦争から何も変わっていない……

 権力のバランスが終戦時から全く変わっていないと考えるナイジェリア人も多い。南部出身のある教師は「生徒たちは、あの戦争から得られた教訓は何もないと感じているようです。なぜ終戦このかたイボ人の大統領が誕生していないのか、そんな疑問を生徒たちは抱いています」

 ラゴスのカトリックスクールの歴史教師は「オジュク将軍に宣戦布告を決意させた要因は、今なおこの国に根強く残っています。周縁化、民族浄化、身内びいき、えこひいき、不正、怠慢……」と語る。

 いずれにせよ、ビアフラ戦争について最も語りたがっているのはイボ人たちだ。ラゴスの学校に通う16歳のイボ人の生徒は次のように話した。「戦争当時わたしはまだ生まれていませんでしたが、国がわたしたちにした仕打ちを考えるだけで胸が痛みます。ナイジェリアの国籍を放棄したいとさえ思います」(c)AFP/Joel Olatunde Agoi