【5月19日 AFP】第61回カンヌ国際映画祭(Cannes Film Festival)で20日に公開予定のドキュメンタリー映画『Maradona by Kusturica』は、サッカーファンに「神」と崇められ、1986年のサッカーW杯でアルゼンチン代表を優勝に導いたディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)の半生を描いている。

 ボスニアのエミール・クストリッツァ(Emir Kusturica)監督のこの作品は、マラドーナの成功のコインの裏側――引退後のアルコールと薬物中毒、激太りしていく姿――も描く。

 1986年のW杯メキシコ大会・準々決勝、イングランド戦での後半開始直後の「神の手ゴール」(ゴール前にボールに手で触れたとされる)、続くディフェンダー「5人抜き」などの伝説が残るマラドーナに並ぶ選手は、彼以前に最高の選手とたたえられていたブラジルのペレ(Pele)以外にいない。

 しかし、マラドーナは問題行動も絶えなかった。

 1984年からイタリアのクラブ、ナポリ(Napoli)でプレーし、カルト的な人気を博していた1991年、コカインの陽性反応が出て15か月の出場停止処分を受けた。また1994年のW杯アメリカ大会では、ドーピング検査で禁止薬物エフェドリンが検出され、大会から追放されるなど、ドラッグ問題では繰り返し処分を受けた。

 それでも故国アルゼンチンの人々にとっては、マラドーナは貧困街で育ち成功した「ピベ・デ・オロ(黄金の子)」だったし、今もそうあり続けている。

 しかしドラッグにはまり、体重が増えるにつれ運命の歯車は狂い始めた。肥満問題では食事量コントロールのために胃のステープリング手術(胃の数か所を器具で止めて食事量を減らす)をするに至った。テレビ司会者として活躍する一方で、コカイン中毒とも闘ってきた。

 21世紀を迎えようというころには、セレブの自信過剰さと著しい健康の衰えが影を強め、マラドーナの生活は激しく揺れるようになっていた。ついには2000年、ウルグアイのリゾート地プンタデルエステ(Punta del Este)でドラッグ摂取による心臓発作で入院。

 回復したマラドーナは療養のため、長年の友人であるフィデル・カストロ(Fidel Castro)が当時国家評議会議長を務め、また自らが尊敬するアルゼンチン出身の革命家、故チェ・ゲバラ(Che Guevara)にゆかりのあるキューバへ向かった。

 以後4年間、このカリブ海の共産主義国とアルゼンチンの間を行き来しながら、コカイン中毒と格闘した。2004年、再度心臓発作に見舞われ死のふちまで行くが、このときも治療のためキューバの首都ハバナ(Havana)へ向かった。

 2007年3月に肝炎とアルコール依存症治療のためアルゼンチンの病院に戻るが、「アルコールやドラッグ問題は過去のものだ」などと発言しながらも入退院を繰り返す。

 この時期からマラドーナは、カストロ前議長やベネズエラのウゴ・チャベス(Hugo Chavez)大統領など左派政権をたたえ、米国を冷笑する政治的発言を強めている。(c)AFP