【3月20日 AFP】ブータンに住むチベット難民たちは、チベットでの騒乱を不安な気持ちで眺めている一方、それについて語るのを恐れている。

 1959年のチベット動乱後ブータンへ逃げてきたチベット族の多くはブータン国民となり、チベット人コミュニティーとの接触はほとんどしていない。しかし、小さな難民キャンプに住み続け、ブータンの市民権を得ていない人たちも数百人いる。

 ブータンの市民権を得ていない30歳代の店舗経営者の女性は19日、数珠を手に涙を流しながら「チベットの状況はテレビで見ている。とても悲しいがここでは何の役にも立てない。ただ祈っているだけ。チベットについてはもう何も話せない」と語った。

 難民の立場のチベット人は、政府の職につくことも、店舗経営権を申請することはできない。しかし、多くの人が他人名義で経営権を手に入れ、首都ティンプー(Thimphu)で工芸品店などを営んでいる。

「1959年、8歳のときに祖母と両親とともにここに来た。夜中に山を歩いた」と語るのは店舗を経営するDawaさん(57)。彼女はブータンの男性と結婚した後、ブータン国籍を取得した。「ニュースを見て、きのうは泣きはらした。チベット人のために祈り、ランプをともしている」

 両親がチベット動乱後にブータンに亡命し、その後ブータンで生まれた別の小間物店経営者は「チベットのことやいま起きていることには強く心を動かされるが、一体何ができるのか」とし、「家ではチベット語を話し、その文化に従っている」と、店を訪れた観光客の目を気にし、声を低くして明かした。

 絶対君主制からの移行を目指し、初の総選挙を来週に控えるブータンでは、大半の国民がチベット問題には無関心だ。ブータンオブザーバー(Bhutan Observer)紙の編集者Tashi Dorji氏は「ブータン人にとっては、中国の一部に見えるチベットよりインドの方が身近だ。中国とはほとんど接点がない」と語る。

 政府系クエンセル(Keunsel)紙の最高経営責任者Kinley Dorji氏は「ブータンは非常に隔離されており、チベットとの交流はほとんどない。しかし、ダライ・ラマ(Dali Lama)はここではとても尊敬されている」と語る。

 1959年のチベット動乱後、多くのチベット人は近隣のインドやネパールに亡命、インドではダライ・ラマの指導の下、チベット亡命政府が設立された。しかし、厳しい地形のため、ブータン国境を越えるチベット人は少なかった。(c)AFP/Parul Gupta