マーロン・ブランドさんの息子、死去
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【1月27日 AFP】(一部更新、1月28日写真追加)ハリウッドの伝説的俳優マーロン・ブランド (Marlon Brando)さんの長男クリスチャン・ブランド(Christian Brando)さんが26日朝、肺炎のためロサンゼルス(Los Angeles)の病院Hollywood Presbyterian Medical Centerで亡くなった。49歳だった。クリスチャンさんの家族と弁護士が明らかにした。
ブランド家の弁護士がロサンゼルス・タイムズ(Los Angeles Times)に明らかにし、その後、クリスチャンさんの元妻デボラ(Deborah)さんが米芸能・カルチャー誌「ピープル(People)」とのインタビューの中でクリスチャンさんの死去を認めた。
■妹の恋人を射殺
クリスチャンさんは1990年5月16日、ロサンゼルスにある父親の邸宅で、妹シャイアン(Cheyenne)さんの恋人Dag Drolletさん(当時26)を射殺した。当時妊娠していたシャイアンさんはDrolletさんからひんぱんに暴力をふるわれているとクリスチャンさんに話していたという。
サンタモニカ(Santa Monica)の裁判所で行われた公判では父親のマーロン・ブランドさんが証人席で涙ながらに減刑を求め、世界中の注目を集めた。
映画『ゴッド・ファーザー(The Godfather)』や『欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)』に出演した大スターでもあるマーロンさんは、「わたしはおそらく父親として失格でした。わたしには違うやり方があったはずです。その時にわたしがそれを分かっていたらよかったのですが、そうではなかった」と話した。
1991年のロサンゼルス・タイムズとのインタビューによると、クリスチャンさんは「僕はDag Drolletさんを殺すつもりであの部屋に行ったわけではない。ただ彼を脅そうとしただけだ」と殺意を否定。口論の末にクリスチャンさんが部屋を出ようとしたところをDrolletさんに腕をつかまれそうになり、発砲したと主張した。しかし後に殺意があったことを認め、禁固10年の判決を受け、1996年に約5年の刑期を終えて出所した。
■たび重なる悲劇
しかし刑務所入りはクリスチャンさんの悲劇の最後ではなかった。
シャイアンさんがDrolletさんから暴力を受けていたかについての疑惑が高まる中、クリスチャンさんが服役中の1995年、シャイアンさんはタヒチで自殺。
マーロン・ブランドさんには9人の子どもがいるが、クリスチャンさんはマーロンさんとインド出身の女優Anna Kashfiさんとの最初の結婚で、マーロンさんの第1子として生まれた。しかし2人はクリスチャンさんが生まれて間もなく離婚、し烈な親権争いが始まった。
当初Kashfiさんが親権を獲得したが、後にKashfiさんの薬物・アルコール依存症を理由に裁定は覆され、1972年にマーロンさんが親権を認められた。その後もマーロンさんが映画『ラストタンゴ・イン・パリ (Last Tango in Paris)』の撮影でフランスにいる間に、クリスチャンさんをメキシコへ連れて行ったKashfiさんに誘拐の疑いがかけられるなどの問題が発生した。
父親のもとに戻ったもののクリスチャンさんはトラブル続きの生い立ちのため精神的に不安定となり、若くして学校を退学、アルコールと薬物の常用者となった。ロサンゼルスにあるマーロンさんの邸宅に住みながらさまざまな仕事に手を染めたが、落ち着くことはできなかった。
マーロン・ブランドさんは2004年に80歳で亡くなっている。(c)AFP
ブランド家の弁護士がロサンゼルス・タイムズ(Los Angeles Times)に明らかにし、その後、クリスチャンさんの元妻デボラ(Deborah)さんが米芸能・カルチャー誌「ピープル(People)」とのインタビューの中でクリスチャンさんの死去を認めた。
■妹の恋人を射殺
クリスチャンさんは1990年5月16日、ロサンゼルスにある父親の邸宅で、妹シャイアン(Cheyenne)さんの恋人Dag Drolletさん(当時26)を射殺した。当時妊娠していたシャイアンさんはDrolletさんからひんぱんに暴力をふるわれているとクリスチャンさんに話していたという。
サンタモニカ(Santa Monica)の裁判所で行われた公判では父親のマーロン・ブランドさんが証人席で涙ながらに減刑を求め、世界中の注目を集めた。
映画『ゴッド・ファーザー(The Godfather)』や『欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)』に出演した大スターでもあるマーロンさんは、「わたしはおそらく父親として失格でした。わたしには違うやり方があったはずです。その時にわたしがそれを分かっていたらよかったのですが、そうではなかった」と話した。
1991年のロサンゼルス・タイムズとのインタビューによると、クリスチャンさんは「僕はDag Drolletさんを殺すつもりであの部屋に行ったわけではない。ただ彼を脅そうとしただけだ」と殺意を否定。口論の末にクリスチャンさんが部屋を出ようとしたところをDrolletさんに腕をつかまれそうになり、発砲したと主張した。しかし後に殺意があったことを認め、禁固10年の判決を受け、1996年に約5年の刑期を終えて出所した。
■たび重なる悲劇
しかし刑務所入りはクリスチャンさんの悲劇の最後ではなかった。
シャイアンさんがDrolletさんから暴力を受けていたかについての疑惑が高まる中、クリスチャンさんが服役中の1995年、シャイアンさんはタヒチで自殺。
マーロン・ブランドさんには9人の子どもがいるが、クリスチャンさんはマーロンさんとインド出身の女優Anna Kashfiさんとの最初の結婚で、マーロンさんの第1子として生まれた。しかし2人はクリスチャンさんが生まれて間もなく離婚、し烈な親権争いが始まった。
当初Kashfiさんが親権を獲得したが、後にKashfiさんの薬物・アルコール依存症を理由に裁定は覆され、1972年にマーロンさんが親権を認められた。その後もマーロンさんが映画『ラストタンゴ・イン・パリ (Last Tango in Paris)』の撮影でフランスにいる間に、クリスチャンさんをメキシコへ連れて行ったKashfiさんに誘拐の疑いがかけられるなどの問題が発生した。
父親のもとに戻ったもののクリスチャンさんはトラブル続きの生い立ちのため精神的に不安定となり、若くして学校を退学、アルコールと薬物の常用者となった。ロサンゼルスにあるマーロンさんの邸宅に住みながらさまざまな仕事に手を染めたが、落ち着くことはできなかった。
マーロン・ブランドさんは2004年に80歳で亡くなっている。(c)AFP