【1月12日 AFP】サッカースコットランド・プレミアリーグのセルティック(Celtic)に所属する日本代表の中村俊輔(Shunsuke Nakamura)は、欧州サッカー連盟(UEFA)の公式ホームページ上のインタビューで、イタリアのサッカーにおける人種差別を痛烈に批判した。

 中村は、2005-06シーズンにセルティックに移籍しチームの中心として名声を確立する前の2005年7月まで、3シーズンにわたりイタリア・セリエAのレッジーナ(Reggina Calcio)でプレーしていた。
 
■移籍の難しさ

 中村はインタビューの中で日本から欧州に移籍して適応することの難しさについて語った。「日本人選手が欧州でプレーすることはとても難しい。それは国によってプレースタイルから文化的な違いまで多岐に及ぶ要因がある。スコットランドではないが、イタリアでは人種差別も受けることがある。それは良くないことで、これまでわずかな日本人選手しか移籍を果たすことができていないことの理由にあたると思います」と話している。

 中村がイタリアで過ごした時間は決して失敗などではなく、中村は地方の小クラブであるレッジーナの1部残留に毎年貢献していた。その後、中村はスペインかドイツのクラブへの移籍が噂されたが、最終的にはスコットランドのセルティクを選択した。それでも中村は、依然としてスペインやブラジルのクラブへの移籍を思案しているという。中村は「確かにそれらの国でプレーすることを考えたことはあります。しかし状況は難しいと思います。もし私が20代中頃なら他の国のリーグに行ってプレーすることもできるでしょうが、私は現在29歳なのでそうした移籍をするのはそれほど簡単ではないかもしれません。いずれにせよ私がセルティックでプレーしたくないと言っているわけではありません」と語った。

■グラスゴーでの快適な生活

 中村はイタリアにいた頃よりも、グラスゴー(Glasgow)では快適な生活を送っている。一緒に暮らす妻と息子が中村にたくさんの喜びを与えてくれているからだ。中村は「私の息子は2歳半でグラスゴーにある保育園に通っているんです。息子は私より英語が上手なんです」と冗談めかして語った。

■お気に入りの選手はマラドーナ

 中村をサッカー選手の道へと導いたのは、06サッカーW杯ドイツ大会で日本代表を指揮し中村に大きな影響を与えたジーコ(Zico)元日本代表監督ではなく、ディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)氏であったことを明かした。「ジーコには内緒にしてください。マラドーナは私のお気に入りの選手なんです」といたずらっぽく話す中村は、「私が初めてテレビで見た記憶があるW杯は1986年のメキシコ大会でした。そこで私は初めてマラドーナを知りました。私はブラジルのサッカーが好きでファルカン(Falcao)のような選手をすごいと思ってましたが、マラドーナはまったく別物でした。準々決勝のイングランド戦でマラドーナが決めた(神の手ではなく)5人抜きゴールや準決勝のベルギー戦でのゴールは息を呑むほどで、サッカー選手としてのキャリアを築くためのインスピレーションを与えてくれました」と語った。

 ただその一方で中村はジーコへの尊敬も忘れておらず「ジーコは日本人のサッカーへの考え方を変えてくれました。日本サッカーにおいてはとても重要な人物で、日本の英雄です」と語っている。(c)AFP