【1月11日 AFP】1月9日は20世紀フェミニズム運動の象徴的存在、シモーヌ・ド・ボーボワール(Simone de Beauvoir)の生誕100周年にあたる。フランスのパリ(Paris)で記念シンポジウムが開催される中、ボーボワールの人生や功績について新たな側面が浮かびあがっている。

■生誕100周年記念シンポジウム開催

 ボーボワールは1986年4月14日に死去したが、20年後の今も彼女のもたらした影響は消えず、フランスでは生誕100周年を迎えた今週、関連書籍やDVDが発売された。パリ市内ではボーボワールの生涯やその作品についてのシンポジウムが3日間にわたり開催され、大勢の研究者が参加した。

 米研究者のHazel Rowley氏は「1929年当時、ボーボワールは自由で開放的な人間関係の中で生き、それ以前にはなかった視点から女性の地位について語った。彼女はそうした勇気を持っていた。だから人々は生誕100周年を祝うのだ」と話す。

 ボーボワールの最新伝記の執筆者Daniele Sallenave氏は「女性も自身の運命を自由に選択することが可能であり、性別や因習にとらわれる必要はないということを、ボーボワールが証明した」と評価する。

 サルトルとボーボワールは、公正かつ平等な関係で結ばれた理想のカップルとされており、2人の間で数十年間やり取りされた書簡が死後に出版されている。ところが、これらの書簡をRowley氏やSallenave氏などの研究者が分析した結果、この伝説的なカップルの「暗部」が明らかになったという。

■フェミニズムの旗手の「闇の部分」

 1949年、ボーボワールは代表作『第二の性(The Second Sex)』を執筆。社会のタブーに挑みフェミニズム運動に革新をもたらしたとされるこの作品で、ボーボワールは女性解放の旗手としての地位を国内外で確立していく。また同作品は、実存主義哲学者のジャンポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)と生涯にわたる関係を築くきっかけともなった。

 その後ボーボワールは、パリのカルチェラタン地区における自由思想、自由恋愛を体現する存在となる。サルトルとの関係は50年間続いたが、2人の間には「お互いに自由に恋愛し、それを一切隠し立てしない」という取り決めがあった。

 ところが研究者らが書簡を突き合わせた結果、ボーボワールが自分の恋人にした若い哲学専攻の女学生たちをサルトルにも「紹介」していたことが分かった。そして、自分たちにとって不要になると冷たく捨てるといったことが繰り返し行われていた事実が、冷酷な言葉でつづられた書簡から浮かび上がった。

 さらに、ボーボワールは人生の最期まで自分がレズビアンで女性と性的な関係を持ったことを否定し続けていたことも判明している。

 このほか、ボーボワールが戦時中に国営ラジオで文化番組を一時的に担当していたことから、「ボーボワールはナチス協力者だった」と非難する研究書も発表されている。後年、スターリン主義を糾弾しなかったことでもサルトルとともに批判された。

■ボーボワール再評価を提唱

 このほど開催されたシンポジウムでは、「2人の学問的功績が悪意に満ちた中傷でゆがめられている」とRowley氏とSallenave氏が指摘した結果、これまでの評価をもう一度見直すことが決定した。

 Rowley氏はサルトルとボーボワールについて「冒険心、勇気、寛容な心、情熱、生命力、ユーモアに富んでいた」とたたえている。

 Sallenave氏は「サルトルとボーボワールは例外的な存在だったことから疎まれている。ボーボワールが普通の人と同じように、狭い了見の持ち主であることを示して評価を下げたいと世間は考えているのだろう」と解釈する。

「2人の関係や、戦時中にとった行動について考えるのは悪いことではないが、つまらないゴシップとして取り上げて騒ぎ立てるべきではない」(同氏)(c)AFP