【12月7日 AFP】海洋冒険家、堀江謙一(Kenichi Horie、69)さんが2008年春、新たな冒険に挑戦する。今回の挑戦で堀江さんは、アルミリサイクル材で造られ、波だけを動力源とし、太陽電池を電力供給源に用いる環境に配慮した「波浪推進船」で、太平洋の未踏査ルートを単独航海する。

 AFPの取材に応じた堀江さんは、世界初となる今回の挑戦で波を動力源に選んだことについて、次のように語った。

「風は気まぐれで不安定だが、波はそうではない。風は突然やむことがあるが、波は急に止まることはないでしょ 。波にはすごい力があって、これを動力源に使わないのはもったいないとずっと思ってきました」

「SUNTORYマーメイドII号(Suntory Mermaid II)」と名づけられた堀江さんの新しいヨットは、2008年3月、ハワイのホノルル(Honolulu)を出港し、5月下旬に徳島と和歌山を結ぶ紀伊水道(Kii Channel)帰港を目指す。

「SUNTORYマーメイドII号」は全長9.5メートルの双胴船。純白の船体には、スローガンである「Earth Partnership」が左右両側に書かれている。全7000キロの行程を、無寄港で2か月かけて航海する計画だ。

 船体前部には2枚の水中翼が付いている。波の動きに合わせて船体が上下するたび、この水中翼がドルフィンキックのように動作して推進力を発生させる仕組みだ。理論的には、平均3ノットの速度が達成できるという。

 波だけを動力源とした船での航海は世界初の試みだが、堀江さんによれば、過去に何度か、同様の船が実験的に造られたことはあるそうだ。

「長い歴史のなかで、人類は風の力を大いに活用してきたけど、波を真剣に使ってやろうとした人はいなかったみたい。事実上これまで誰ひとりとして波力システムを使ってこなかったのは、運がいいとしか言いようがない」と堀江さんは語った。

■「違法航海」で英雄に

 堀江さんの「運のよさ」は、1962年からずっと続いている。この年、堀江さんは23歳にして、94日間にわたる単独太平洋横断航海を世界で初めて成功させた。ただ、日本は法律で自力航海による出国を禁じており、彼の挑戦は違法だった。

 だが世界初の挑戦を成功させた堀江さんは、帰港地の米国で温かく歓迎された。さらに、帰国後は偉業を成し遂げた冒険家として英雄扱いされるようになった。

 以来、堀江さんは数々の成功を収めてきた。74年には単独無寄港世界一周航海を、82年には縦回り地球世界一周航海を、89年には全長2.8メートルの太平洋横断としては世界最小の外洋ヨットでの航海を、それぞれ成功させている。

 このように海洋冒険家として名をはせる一方で、太陽電池1個で駆動するボートや、アルミ缶リサイクルのボートなどを使った航海に挑み、環境保護の分野でも活動を続けてきた。

「1980年初頭に環境に優しい航海を始めたころには、環境問題が今のように世界的な問題になるとは思いもしなかった」そうだが、海の男として、最近は地球温暖化の影響をひしひしと感じているという。

■地球温暖化の影響を実感

 79年から82年にかけ、夏季に北極圏を単独航海したときには、「非常に厳しい航海で、まさに氷の間を突き進む感じだった」が、「今ではすんなりと航海できてしまう」と証言した。気候変動の影響で氷山が溶解し、北極周辺でも海面上昇が起きているのが原因だ。

 その航海スタイル同様、環境保護においても、堀江さんはどこかの団体に所属したりせず「単独で」活動を続けている。

「環境保護を精力的に訴えようという大それたことを考えているわけでもないし、人類のために何かすごいことをしようなんて気もない。環境のために自分がしていることを、ほかの人たちと共有できればそれで幸せ。ヨットマンが自然を大切にするのは、自然と闘い、自然の持つ力を利用させてもらっているから。京都議定書(Kyoto Protocol)のような取り決め以前の問題意識だと思います」

 地球温暖化は、最終的には政治を離れたところで解決されるはずだと堀江さんは考える。「問題解決のためには、2つのことが必要だと思います。1つは技術の進化。もう1つは個人のモラルの向上。この両方が達成できれば、地球温暖化を克服できるのではないでしょうか」

 環境保護活動に力を注ぎつつも、堀江さんにとって一番の関心事はやはり航海だ。その航海について堀江さんは、「孤独なスポーツ。野球と違って、航海には観客がいない」と評する。それでも、「自然の力を借りて世界中を航海することって、ほんとに楽しい。そう思わない?」とその喜びを語った。

 今後の抱負について尋ねると堀江さんは、100歳になっても冒険を続けたいと語った。「年齢が3けたになるまで続けたい。夢はどんどん大きくなるばかり。可能性には限りがないわけだし。わたしはごく普通の人間で、何の才能もないけど、情熱だけはある。その情熱があればこそ乗り越えてこられたと思います」(c)AFP/Shingo Ito