【11月15日 AFP】故サダム・フセイン(Saddam Hussein)元イラク大統領は、イラク国民数千人の殺害については悔い改めなかったが、米連邦捜査局(FBI)の担当捜査官がいとまごいを告げたときには涙を浮かべた。

 13日に出版された米国の著名ジャーナリスト、ロナルド・ケスラー(Ronald Kessler)氏の新刊『The Terrorist Watch(テロリスト・ウオッチ)』は、2006年末に処刑されたフセイン元大統領の尋問を担当した元FBI捜査官George Piro氏の証言を収録。2003年12月の米軍によるフセイン元大統領拘束を受け、同氏が派遣されたいきさつなどを明らかにしている。

 Piro氏は当時36歳で、FBIの対テロリズム部門の主任だった。同氏はレバノンの首都ベイルート(Beirut)で生まれ、12歳の時に家族と共に米国へ移住、流ちょうなアラビア語を話した。

 ケスラー氏の新作で発表されたPiro氏の証言では、現代で匹敵する者がいないほど残虐だといわれたフセイン前大統領の内面が詳細に語られている。

■尋問担当官は「影武者説」を否定

 まず、フセイン元大統領は異常といえるほどのきれい好きだったことが明かされている。手や足を隅々まで拭くために、乳幼児用のウェットティッシュを差し入れたことで、Piro氏はフセイン元大統領の信頼を得たという。

 拘留中も1日5回の礼拝を欠かさぬ敬けんさを見せた一方で、高級ワインやスコッチウイスキーの「ジョニーウォーカーブルーラベル」とキューバ製葉巻を好んだ。また、女性にはすぐ目を付けたといい、「アメリカ人の女性看護師が採血に現れたとき、君はかわいらしいねと英語で伝えるよう頼まれ、Piro氏はちゅうちょした」とケスラー氏は書いている。また、影武者存在説については「誰も自分を演じることはできないだろうとサダムはわたしに言った」と、Piro氏は一笑に付した。

 2004年7月まで7か月にわたり、Piro氏は尋問のため、フセイン元大統領と1日5時間から7時間を過ごした。

 フセイン元大統領は、宿敵イランをけん制するために、大量破壊兵器を保持しているよう「装った」だけだと認めたという。また、国連(UN)による制裁がいずれ解除されれば、核兵器計画を再開できるとも考えていた。

 尋問室の外では、2人は歴史や政治、芸術やスポーツなどについて語り合った。失墜した無慈悲な独裁者とされたフセイン元大統領だが、FBIから支給されたノートを使って愛についての詩作も始めたという。

■ブッシュ父子への対応は「戦術的失敗」

 米国については、自身に対する戦争を開始したジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)大統領とジョージ・H・W・ブッシュ(George H. W. Bush)元大統領の父子を嫌悪しながらも、アメリカ人のことは好み、故ロナルド・レーガン(Ronald Reagan)元大統領やビル・クリントン(Bill Clinton)前大統領については尊敬の念さえ示した。

 特に、第1次湾岸戦争(Gulf War)時に米軍の軍事力を過小評価した点と、現ブッシュ大統領が本気でイラク侵攻を考えているとは思っていなかった点を挙げ、ブッシュ父子に対する自らの対応は「戦術的過ち」だったとも告白した。

 ついに尋問日程がすべて終了すると、フセイン元大統領は感情的になったという。「わたしたちは外に座り、キューバ葉巻を2、3本吸った。コーヒーを飲み、他愛ない話をした」とPiro氏は回想する。「別れのあいさつをすると、彼の目から涙があふれた」。

 ティクリート(Tikrit)近郊で穴に隠れていたところを米軍に拘束されたとき、フセイン元大統領は拳銃を所持していたが、最終的に自分が死刑に処されることを予測しながら、その場で自殺することは拒んだ。Piro氏は「死刑は、歴史上に自分の遺産と名を残したいという彼自身の目的にかなったのだろう」と回想する。

 フセイン元大統領は2006年末に絞首刑に処される直前になっても、悔悟の念を見せなかった。「けれど、彼は魅力的で、カリスマ性があり、上品で、ユーモア豊かな人物だった。そう、好感の持てる人物だった」とPiro氏は語っている。(c)AFP/Jitendra Joshi