【9月19日 AFP】カンボジアの旧ポル・ポト(Pol Pot)政権時代の大量虐殺を裁くカンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of CambodiaECCC)の捜査判事は19日、ヌオン・チア(Nuon Chea)元カンボジア人民代表議会議長(82)を人道に対する罪で身柄拘束した。

 1925年、カンボジア北西部バタンバン(Battambang)州Long Bunruotで裕福な華僑一家の下に生まれたヌオン・チア議長は、タイのバンコク(Bangkok)で法律を学んだ後、1950年、タイ共産党に入党した。

 その1年後、フランス植民地下のベトナムで結成されたインドシナ共産党(Indochinese Communist Party)に移籍した後、カンボジアでの反仏活動を通じて党内ランクを駆け上がった。

 1975年、ポル・ポトを党首とする「クメール・ルージュ(Khmer Rouge)」が、親米ロン・ノル政権を倒しカンボジアの実権を掌握すると、ポル・ポト首相の右腕を務めた。

 1975年から79年の同政権下での4年間、最大200万人のカンボジア国民が強制労働、処刑、飢饉(ききん)、疾病などで命を落とした。実際にクメール・ルージュによって殺害された犠牲者の正確な人数は不明なままだ。

 カンボジア現代史の研究者の間では、ポル・ポト政権は「国家の敵」の排除を目的に組織的に処刑を行っていたとみられ、その中心人物はヌオン・チア元議長だったとの見方が強い。
 
 虐殺の当事者としては、カン・ケク・イウ(Kang Kek Ieu)元政治犯収容所長(通称ドッチ=Duch)が7月、起訴されている。

 ドッチ元所長は1999年に、虐殺を直接指示したのはポル・ポトではなくヌオン・チア元議長だったと記者らに証言しており、同議長の審問が開始されれば、虐殺の実態が明らかにされると期待される。

 一方、ヌオン・チア元議長は1998年のポル・ポト派の投降後、ポル・ポト政権下で虐殺が行われた事実は認めたが自身が虐殺を指示する立場にあったことは否定している。(c)AFP/Seth Meixner