プーケット島旅客機事故、奇跡の生存者証言
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【9月18日 AFP】タイ航空会社ワンツーゴー(One-Two-Go)の旅客機(乗客乗員130人)が16日、着陸に失敗し炎上したタイ南部のリゾート地、プーケット(Phuket)島に世界各地から犠牲者の遺族らが集まっている。
Sucheep Panetungさんは17日、搭乗していた友人の消息を求め、事故現場であるプーケット国際空港で6時間を過ごした。その間、医師や救助隊員らが忙しく動き回り、数メートル先では検視が行われていた。Sucheepさんの傍らには犠牲者たちの焼け焦げた遺体が写った写真があり、空港ホールのガラスの扉の向こうには、白いビニールに包まれた何十体もの遺体が安置されていた。事故機に乗っていた友人の遺体がどれなのか、Sucheepさんは途方にくれていた。その後、「彼の遺体が確認されたと言われたけれど、わたしは家族ではないので会わせることはできないと言われた」と落胆した。
「ワンツーゴー」のMD-82型旅客機は乗客123人、乗員7人を乗せたまま前日夕方、プーケット国際空港で大雨の中、着陸に失敗、滑走路脇の林に突っ込み、2つに折れて炎上した。当局の発表では死者89人、うち57人が外国人だった。数日中に、さらに多くの犠牲者の親族や友人が、タイ国内および世界各国から特別機でプーケットに到着する見込みだ。遺体の身元確認は難航するとみられている。生存者41人も大半が負傷し、治療を受けている。
多くの救急隊員による救助活動もむなしく、隊員らは回収された遺体を空港ホールに並べ、ゆっくりと棺に納め、トラックで搬出していた。これから受ける検視のためにテーブルの上に運び上げられた遺体もあった。ホール内ではTV撮影用のライトが遺族や検視官を容赦なく照らしつけ、外では雨が止む様子もなく降り続いていた。
一方で、島のあらゆる病院に運び込まれた生存者たちは、自分たちの命運を分けた理由を見つけられず、ただ閉じ込められたまま炎上する機体とともに燃え果ててしまった人々を思い、悲嘆するばかりだった。
軽傷だけで事故機から逃れることができたParinyawich Chusaengさんは「私が幸運だったのは、この仏教のお守りを持っていたからだと思う」と語った。
カナダ人旅行客のMillie Furlongさん(23)は、自分の後ろの座席にいた男性の後に続いて避難したという。避難口のドアをけり破ったのは自分のボーイフレンドだった。「考えたり怖がったりしている時間なんてなかった。炎がものすごい勢いで近づいていたし、煙で何も見えなかった。ただ煙でいっぱいだった」と語った。Furlongさんは軽傷で済んだが、ボーイフレンドのChatri Suksawasさんは他の乗客を助けようとしばらく機内に残ったため、煙を吸い込み気道をやけどした。
16日夜に手術を受けた生存者たちの友人や遺族で、病院はごった返していた。オーストラリア人のビジネス・パートナーであるRobert Borlandさんのために駆けつけたSten Jensonさんは、「彼はやけどを負い、腕も骨折した。けれど彼は生きている」と語った。
自身が案内したイラン人の旅行客21人が搭乗していたという、ツアーガイドのUthai Abprivanさんは「7人が負傷で済んだことは分かった。けれど、残りの人たちはたぶん亡くなっているでしょう」と語った。
17日夜までに、滑走路内の残がいは除去され、空港は再開されたが、残がいは滑走路脇の芝生部分に移動されただけで、フライトを待つ乗客たちの目に嫌でも入る。
空港が再開すると、前日の事故によってキャンセルされた便に搭乗する予定だった乗客らが、フライトの再予約のため搭乗カウンターに殺到した。ワンツーゴーの旅客機に予約を入れていた乗客の中には、他社の便に変更する者もいた。女性4人でバンコク(Bangkok)へ向かおうとしていたOrawan Kaenkaewさんは「ワンツーゴーで旅行するのは怖すぎる。行き先の空港をスラタニ(Surat Thani)かハジャイ(Hat Yai)に変えて、帰路もそこからにしようと思う」と述べた。
発着便案内掲示板のほぼすべての便名の下には「遅延」のランプが点滅していた。キプロス(Cyprus)から新婚旅行に来たカップルは、これまでの予定のほとんどの時間をプーケットで足止めされているという。新婦は荷物の上に座り「バンコクまで行ったらドバイ(Dubai)へ行く乗り継ぎ便を探して、そこからニコシア(Nicosia)へ戻らなければならない。けれどいつになったらここを離れられるのか見当もつかない。けれど昨日はワンツーゴーが宿泊料金を支払ってくれたカントリークラブに泊まって温泉に入った」と語った。(c)AFP/Griffin Shea
Sucheep Panetungさんは17日、搭乗していた友人の消息を求め、事故現場であるプーケット国際空港で6時間を過ごした。その間、医師や救助隊員らが忙しく動き回り、数メートル先では検視が行われていた。Sucheepさんの傍らには犠牲者たちの焼け焦げた遺体が写った写真があり、空港ホールのガラスの扉の向こうには、白いビニールに包まれた何十体もの遺体が安置されていた。事故機に乗っていた友人の遺体がどれなのか、Sucheepさんは途方にくれていた。その後、「彼の遺体が確認されたと言われたけれど、わたしは家族ではないので会わせることはできないと言われた」と落胆した。
「ワンツーゴー」のMD-82型旅客機は乗客123人、乗員7人を乗せたまま前日夕方、プーケット国際空港で大雨の中、着陸に失敗、滑走路脇の林に突っ込み、2つに折れて炎上した。当局の発表では死者89人、うち57人が外国人だった。数日中に、さらに多くの犠牲者の親族や友人が、タイ国内および世界各国から特別機でプーケットに到着する見込みだ。遺体の身元確認は難航するとみられている。生存者41人も大半が負傷し、治療を受けている。
多くの救急隊員による救助活動もむなしく、隊員らは回収された遺体を空港ホールに並べ、ゆっくりと棺に納め、トラックで搬出していた。これから受ける検視のためにテーブルの上に運び上げられた遺体もあった。ホール内ではTV撮影用のライトが遺族や検視官を容赦なく照らしつけ、外では雨が止む様子もなく降り続いていた。
一方で、島のあらゆる病院に運び込まれた生存者たちは、自分たちの命運を分けた理由を見つけられず、ただ閉じ込められたまま炎上する機体とともに燃え果ててしまった人々を思い、悲嘆するばかりだった。
軽傷だけで事故機から逃れることができたParinyawich Chusaengさんは「私が幸運だったのは、この仏教のお守りを持っていたからだと思う」と語った。
カナダ人旅行客のMillie Furlongさん(23)は、自分の後ろの座席にいた男性の後に続いて避難したという。避難口のドアをけり破ったのは自分のボーイフレンドだった。「考えたり怖がったりしている時間なんてなかった。炎がものすごい勢いで近づいていたし、煙で何も見えなかった。ただ煙でいっぱいだった」と語った。Furlongさんは軽傷で済んだが、ボーイフレンドのChatri Suksawasさんは他の乗客を助けようとしばらく機内に残ったため、煙を吸い込み気道をやけどした。
16日夜に手術を受けた生存者たちの友人や遺族で、病院はごった返していた。オーストラリア人のビジネス・パートナーであるRobert Borlandさんのために駆けつけたSten Jensonさんは、「彼はやけどを負い、腕も骨折した。けれど彼は生きている」と語った。
自身が案内したイラン人の旅行客21人が搭乗していたという、ツアーガイドのUthai Abprivanさんは「7人が負傷で済んだことは分かった。けれど、残りの人たちはたぶん亡くなっているでしょう」と語った。
17日夜までに、滑走路内の残がいは除去され、空港は再開されたが、残がいは滑走路脇の芝生部分に移動されただけで、フライトを待つ乗客たちの目に嫌でも入る。
空港が再開すると、前日の事故によってキャンセルされた便に搭乗する予定だった乗客らが、フライトの再予約のため搭乗カウンターに殺到した。ワンツーゴーの旅客機に予約を入れていた乗客の中には、他社の便に変更する者もいた。女性4人でバンコク(Bangkok)へ向かおうとしていたOrawan Kaenkaewさんは「ワンツーゴーで旅行するのは怖すぎる。行き先の空港をスラタニ(Surat Thani)かハジャイ(Hat Yai)に変えて、帰路もそこからにしようと思う」と述べた。
発着便案内掲示板のほぼすべての便名の下には「遅延」のランプが点滅していた。キプロス(Cyprus)から新婚旅行に来たカップルは、これまでの予定のほとんどの時間をプーケットで足止めされているという。新婦は荷物の上に座り「バンコクまで行ったらドバイ(Dubai)へ行く乗り継ぎ便を探して、そこからニコシア(Nicosia)へ戻らなければならない。けれどいつになったらここを離れられるのか見当もつかない。けれど昨日はワンツーゴーが宿泊料金を支払ってくれたカントリークラブに泊まって温泉に入った」と語った。(c)AFP/Griffin Shea