【9月17日 AFP】(一部更新)タイ南部のリゾート地、プーケット(Phuket)島の国際空港で16日、タイ航空会社ワンツーゴー(One-Two-Go)の旅客機(乗客乗員130人)が着陸に失敗し炎上した事故で、残がいの除去などとともに原因究明作業が進められている。同事故による死者は89人に上り、過去10年間のタイ国内の航空機事故で最多となった。犠牲者のうち55人は外国籍の乗客だと当局は発表している。

 タイ空港公団(Airports of ThailandAOT)がAFPに明らかにしたところによると、プーケット国際空港は17日午後3時30分(日本時間午後5時半)に再開した。

 管制官や目撃者らによると、「ワンツーゴー」のMD-82型旅客機は16日午後4時ごろ、着陸直前になって着陸中断の許可を得たが、そのまま滑走路に進入、滑走路脇の林に突っ込んで2つに折れ、炎上したという。当時、同空港周辺は大雨で視界が悪かったという。

■ブラックボックス回収

 タイのティーラ・ハオチャルン(Thira Haocharoen)運輸相によると、当局が回収したブラックボックス2個は今後、米国かオーストラリアの専門家の元に送られ解析される。結果は2週間以内に明らかになる見込みだ。ハオチャルン運輸相は事故原因について「事故機は過去12年間、使用されていた。通常、どんな航空機でも最低15年は使用できるものだ。天候が非常に悪かったとしかいいようがない。人間の手で制御できる範囲を越える悪天候だったのだ」と見解を述べた。

■機内に乗客閉じ込められたまま機体炎上

 アジアや欧州など世界各地からは家族らが取り乱した様子でプーケットへ向かったが、同じ頃、事故機内に犠牲者が生きて閉じ込められたまま、機体が炎上したという証言が報道された。

 軽傷のみで避難し、助かった乗客の1人、画家のParinyawich Chusaengさんは「周囲の人々が燃えていた。床に横たわる人も立っている人もいた。みんなに火がついていた」と惨劇の様子を語った。「旅客機はものすごい速さで墜落し、跳ね上がった。右翼が木にぶつかり、それから機体が地面に叩きつけられた」。

■タイ首相「航空安全基準は国際基準満たしている」

 スラユット・チュラノン(Surayud Chulanont)タイ首相は、首都バンコク(Bangkok)でプーケット行きの便を待つ遺族らと対面した中で、同国の航空安全基準は国際基準を満たしていると強調した。同首相は報道陣に「調査結果を待っているところだ。タイの航空安全基準はいかなる面でも国際基準にのっとっていると確信を持って言える」と述べた。 

 航空会社ワンツーゴーは、オリエント・タイ(Orient Thai)航空の系列会社だが、運航を開始したのは2003年と日が浅い。タイ初の格安航空会社である点を売りとしている。

■犠牲者89人、生存者41人

 プーケット国際空港のPornchai Eua-aree取締役は、死者数は89人に達したと発表した。85遺体は回収されたが、現在も4体は事故機の残がいの下に残っているという。また生存者41人のうち15人がタイ国籍、26人が外国籍だった。

 犠牲者の国籍にはオーストラリア、フランス、イスラエルなどが含まれ、各国大使館では外国人犠牲者の身元確認を急いでいる。タイ保健省によると病院で手当てを受けている生存者にはオーストラリア、オーストリア、英国、ドイツ、イラン、アイルランド人などがいるという。

 またタイのインドネシア当局は、事故機を操縦していた1人はインドネシア国籍のArief Mulyadi操縦士(56)だったと発表した。同操縦士も死亡している。

■オーストラリア、身元確認の専門家チーム派遣を申し出る
 
 オーストラリアのアレグザンダー・ダウナー(Alexander Downer)外相は、犠牲者の身元確認のために特殊な専門家チームの派遣を申し出た。火災の勢いが強く、通常の身元確認が可能な状態を越えた遺体があるためだ。

 焼け焦げた機体の残がいは17日も現場に残され、調査団が墜落原因の究明を行った。プーケットのSakchai Limcharoen警察署長によると「救助隊は今日も行方不明者の捜索を続けているが、豪雨のため活動は難航している」という。

 タイで過去最悪の犠牲者を出した航空機事故は、1998年のタイ航空(Thai Airways)エアバス機墜落で、今回の事故と似た状況下で旅客機が水田に墜落し、101人が死亡した。(c)AFP/Griffin Shea