【8月31日 AFP】英国を震撼させ、世界中でニュースの見出しを飾り、英国王室に変化をもたらしたとされる、ダイアナ元妃(Princess Diana)の事故死から31日で10年がたつ。事故に関する審問の経緯を振り返る。

■1997年8月31日、ダイアナ元妃は交際相手のドディ・アルファイド(Dodi Al Fayed)氏、ボディ・ガードのトレバー・リース・ジョーンズ(Trevor Rees-Jones)氏とともに、運転手のアンリ・ポール(Henri Paul)氏が運転する車で、リッツ・ホテル(Ritz Hotel)を出発。4人を乗せた車は、パパラッチの追跡に合い、その後パリ市内のトンネルで支柱に激突。元妃、アルファイド氏、ポール氏の3人は死亡、ジョーンズ氏は重傷を負うも一命を取り留める。

 カメラマン数人とオートバイに乗った記者が事情聴取を受ける。

■1997年9月2日:フランス検察当局が事情聴取を開始。

■1997年9月6日:ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)でダイアナ元妃の葬儀が行われる。テレビで生中継され、数百万人が視聴。弟のスペンサー伯爵(Earl Spencer)による追悼の辞が、盛大な拍手を浴びる。

■1998年3月:ドディの父親で、高級百貨店ハロッズ(Harrods)のオーナーでもあるモハメド・アルファイド(Mohamed Al Fayed)氏が、「事故は暗殺計画によるものだ」と検察当局に証言。

■1999年9月3日: フランスのHerve Stephan判事が、運転手のポール氏が酒を飲み抗うつ剤を服用した状態で運転していたと結論付ける報告書を提出。事情聴取を受けたカメラマンや記者への疑いが晴れる。

■2003年11月:フランス司法当局が、プライバシー侵害容疑で訴えられていたカメラマン数人を嫌疑なしとする。

■2004年1月6日:ダイアナ元妃ら事故死の調査を開始。

 英国の王室検視官Michael Burgess氏は、ロンドン警視庁のジョン・スティーブンズ(John Stevens)前警視総監に対し、事故死に関する審問の中止を要請。

 デーリー・ミラー(Daily Mirror)紙は、ダイアナ元妃が事故死の10か月前、執事のPaul Burrell氏に送った手紙を掲載。手紙の中でダイアナ妃は、チャールズ皇太子が自分を殺す計画を立てていると訴えていた。

■2004年8月:フランス司法当局は、ポール氏のアルコールおよび薬物検査における偽造疑惑への、新たな調査を指示。

■2006年12月14日:スティーブンズ前警視総監は、ダイアナ元妃の死が「悲劇的な事故」によるものであり、暗殺計画の結果ではないとする、800ページの報告書を提出。

■2007年1月8日:審問が「迅速に、公に、公正に、透明性を持って」行われるよう要請するウィリアム王子(Prince William)とヘンリー王子(Prince Henry)の手紙が、予備審問で読み上げられる。

■2007年1月15日:Elizabeth Butler-Sloss判事(当時)が、陪審員を参加させずに審問を行うと発表。これに対し、モハメド・アルファイド氏が激しく反発。

■2007年3月2日:高等法院は、Butler-Sloss判事の方針に反して審問には陪審員を参加させるとする決定を下す。

■2007年4月24日:Butler-Sloss判事は、このような社会的地位のある人物に関する審問で、「陪審員の前で証言する経験が不足している」と述べ、辞退を発表。

■2007年6月13日:スコット・ベーカー(Scott Baker)控訴院判事が後任に。この審問では3人目の担当者となる。