【8月14日 AFP】ジョン・レノン(John Lennon)は言った。「エルビスが登場する前は何も無かった」と。

 南部の貧しい家庭に育ち、黒人音楽をメジャーにしたエルビス・プレスリー(Elvis Presley)は、「ロックンロール」を世界に知らしめた。カントリーとブルースを組み合わせた最初のミュージシャンではなかったが、保守主義がまん延し人種差別が横行した1950年代を駆け抜け、人々の音楽に対する意識を変え、米文化に後世に残る功績を残した。

 ラインストーンが散りばめられたジャンプスーツをまとったその姿が遠い過去のものとなるにつれ、ビートルズ(The Beatles)やローリング・ストーンズ(Rolling Stones)の影に隠れる可能性もあったが、死後30年を経過した今もエルビスはポップミュージック界に影響力を持ち続けている。

「誰かに聞いてごらん。もしエルビスがいなかったら、ポップミュージックは今頃どうなっていただろうね」と、かつてエルトン・ジョン(Elton John)は語った。「エルビスが全てを始めたんだ。僕にとってのスタートも彼だった」
 
 ロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)のJames Henke氏は「誰もがエルビスに影響を受けている。自覚していようとなかろうとね」と話す。「ロックスターの意味を定義づけたのは彼だった」

 かつて「Elvis the Pelvis(骨盤のエルビス)」との愛称で呼ばれ、腰を振るアクションで知られたエルビスは、セクシーで危険な香りのする男とされていた。それでもエド・サリバン(Ed Sullivan)はエルビスのことを、「実に礼儀正しくて素晴らしい少年だった」と述べている。

 ミュージシャンというものは、「優れたパフォーマーで、音楽的に卓越した才能を持ち、社会的にも良識ある人物であるべきだ」とされている。これは、エルビスのおかげ(あるいは「せい」)だと、バブソン・カレッジ(Babson College)の教授で、Journal of Popular Music Studiesの編集者でもあるジェフ・メルニック(Jeff Melnick)氏は指摘する。

 数多くのヒット局を生み出した彼の音楽は、多様性に富む。その豊かな声が聞き間違えられることはないが、典型的なエルビスの声というものもない。23年間に及ぶキャリアは、ロカビリー、ゴスペル、バラード、カントリー、フォーク、ジャズなど多岐にわたる。

 衛星ラジオ局、シリウス・サテライト・ラジオ(Sirius Satellite Radio)には、エルビス専門のチャンネルがあり、全米レコード協会(Recording Industry Association of America)がゴールドやプラチナレコードと認定した150枚のアルバムやシングル曲が流されている。

「クールの元祖」ともいえるエルビスだが、1960年代後半から70年代にかけては体制に反抗的な十代を魅了し続けた。「豪勢なラスベガスのショーや悪役が活躍する映画がもてはやされた時代だったことが、ひとつの理由だ」とHenke氏は説明する。「だが彼の音楽の影響力は否が応でもわるはずだ」

 2002年、スポーツメーカーのナイキ(Nike)がエルビスの『A Little Less Conversation』のリミックス版を日韓ワールドカップサッカーのコマーシャルソングに採用し、久々の大ヒットに。だが彼の資産を管理するエルビス・プレスリー・エンタープライズ(Elvis Presley Enterprises)は、作品の再リリースには難色を示している。同社のJack Soden CEOは「これは一種のクラシック音楽だ。むやみやたらに使用したくはない」と主張した。

「エルビスが偉大である理由については、様々なことが言われているが、彼の偉大さを理解する最良の方法は、昔に戻って古いレコードをかけてみることだね」とヒューイ・ルイス(Huey Lewis)は言う。「長い時間が経過すると古いレコードはあまり良い状態で聞けなくなる。でも、エルビスの曲は古いレコードで聞くと、ますます良くなっていくんだ」(c)AFP