台湾の映画監督、エドワード・ヤンが死去
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【7月3日 AFP】台湾の映画監督、楊徳昌(エドワード・ヤン、Edward Yang)が29日、結腸がんによる合併症のため、カリフォルニアのビバリーヒルズ(Beverly Hills)の自宅で亡くなったことを、台湾の行政院新聞局・映画産業部の役員ベギー・チョウ(Peggy Chou)氏が伝えた。享年59歳。
エドワード・ヤン監督は、『ヤンヤン~夏の想い出~(Yi Yi、英題:A One and A Two)』で2000年に開催された第53回カンヌ国際映画祭(53rd Cannes Film Festival)で最優秀監督賞を受賞し、映画界の「ニューウェーブ」と呼ばれ、台湾で最も才能に溢れる監督の一人として敬意を表されていた。
1947年11月6日上海(Shanghai)生まれ、エドワード・ヤンとしてよく知られるDechang Yangは、儒者の父と移住してきたクリスチャンの母のもとで育ったため、伝統的な気質と西洋的な気質とを持ち合わせていた。小さい頃から日本の漫画が好きで、10歳で自身の漫画を描き始めた。台湾でエンジニアリングを学んだ後渡米し、米国で9年間を過ごした。コンピューターサイエンスを学ぶかたわらで映画のコースを取っていたが、将来の仕事についてははっきりしないままであった。
映画界に足を踏み入れるきっかけとなったのがドイツ人監督ヴェルナー・ヘルツォーク(Werner Herzog)の代表作『アギーレ/神の怒り(Aguirre,the Wrath of God』で、観賞した後ヤンは映画を作ることを決意して81年に台湾に戻った。その翌年、しばしば台湾ニューウェーブ映画の始まりとされるオムニバス映画『光陰的故事(In Our Time)』シリーズの1番目の短編映画『Zhiwang』を監督した。その後も作品を作り続け、数々の映画祭で受賞をした。
批評家にも絶賛され、変わり続ける中流階級の家族を豊かに描写した『ヤンヤン~夏の想い出~』がカンヌ国際映画祭最優秀監督賞を受賞し、ヤンは国際的に知られるようになった。彼の映画は、現代の台湾を痛烈に描いた作品としてこれからも観賞され続けるだろう。
「ヤン監督は台湾映画産業に多大な貢献をしました。彼の死は台湾にとって大きな損失です。」とチョウ氏は語った。(c)AFP
エドワード・ヤン監督は、『ヤンヤン~夏の想い出~(Yi Yi、英題:A One and A Two)』で2000年に開催された第53回カンヌ国際映画祭(53rd Cannes Film Festival)で最優秀監督賞を受賞し、映画界の「ニューウェーブ」と呼ばれ、台湾で最も才能に溢れる監督の一人として敬意を表されていた。
1947年11月6日上海(Shanghai)生まれ、エドワード・ヤンとしてよく知られるDechang Yangは、儒者の父と移住してきたクリスチャンの母のもとで育ったため、伝統的な気質と西洋的な気質とを持ち合わせていた。小さい頃から日本の漫画が好きで、10歳で自身の漫画を描き始めた。台湾でエンジニアリングを学んだ後渡米し、米国で9年間を過ごした。コンピューターサイエンスを学ぶかたわらで映画のコースを取っていたが、将来の仕事についてははっきりしないままであった。
映画界に足を踏み入れるきっかけとなったのがドイツ人監督ヴェルナー・ヘルツォーク(Werner Herzog)の代表作『アギーレ/神の怒り(Aguirre,the Wrath of God』で、観賞した後ヤンは映画を作ることを決意して81年に台湾に戻った。その翌年、しばしば台湾ニューウェーブ映画の始まりとされるオムニバス映画『光陰的故事(In Our Time)』シリーズの1番目の短編映画『Zhiwang』を監督した。その後も作品を作り続け、数々の映画祭で受賞をした。
批評家にも絶賛され、変わり続ける中流階級の家族を豊かに描写した『ヤンヤン~夏の想い出~』がカンヌ国際映画祭最優秀監督賞を受賞し、ヤンは国際的に知られるようになった。彼の映画は、現代の台湾を痛烈に描いた作品としてこれからも観賞され続けるだろう。
「ヤン監督は台湾映画産業に多大な貢献をしました。彼の死は台湾にとって大きな損失です。」とチョウ氏は語った。(c)AFP