<第60回カンヌ国際映画祭>カンヌ国際映画祭の歴史 - フランス
このニュースをシェア
【パリ 16日 AFP】カンヌ国際映画祭(60th Cannes Film Festival)だが、いまや世界注目の催しとなった。1939年に開催された第1回目はどうにか48時間続いたものの、観客はそっぽを向き、チャールズ・ロートン(Charles Laughton)とモーリーン・オハラ(Maureen O'Hara)主演の映画『ノートルダムのせむし男(The Hunchback of Notre Dame)』のたった1作品しか上映されなかった。
当時、ファシズムに対する自由世界の打開策が映画に求められていた。しかしヒトラーがポーランドに侵攻した同年9月3日、カンヌの街の灯りが消えた。映画祭ばかりでなく、平和にも幕が下りてしまった。
■自由の象徴として設立された映画祭
カンヌ国際映画祭は元来、ヴェネチア国際映画祭(Venice International Film Festival)とイデオロギー的に相対する映画祭として設立された。ヴェネチア国際映画祭では1938年に、ドイツのレニ・リーフェンシュタール(Leni Riefenstahl)監督の『オリンピア(Olympia)』が金獅子賞を受賞した。この受賞は、ナチスのプロパガンダの一部であると非難され、当時の米国人や英国人はヴェネチアには戻らないと断言していた。
脚本家フィリップ・エルランジェ(Philippe Erlanger)は「その結果、ヴェネチア国際映画祭は信用を失った。それなら、フランスでモデルとなる映画祭を作ってはどうだろうか。自由な世界のための映画祭を。もしかしたら奇跡的に平和が守られるかも知れない」と回想した。
世界大戦が終わり、1946年再開された同映画祭は21か国から作品が集められ、できるだけ多くの人を喜ばせるために11個の賞が設けられた。デヴィッド・リーン(David Lean)監督の『逢びき(Brief Encounter)』、ロベルト・ロッセリーニ(Roberto Rossellini)監督の『無防備都市(Open City)』などもそのその年に賞を受けている。
当時の映画は白黒で字幕もほとんどなく、冷戦や世界中に広がっていた独立運動を扱った政治的なものが多かった。
1972年までは、各国が自国の出品作を選出していたが、ドイツの映画が初めて選ばれたのは1949年で、日本やイスラエル、スペインの映画は1951年に選ばれた。
また1950年代には、植民地政策やナチスの強制収容所などを扱った映画や、アラン・レネ(Alain Resnais)監督作品『二十四時間の情事(Hiroshima Mon Amour)』も、米国との外交上の平和を維持するために参加が認められなかった。
1968年5月には学生と労働者の反体制運動「5月革命」がフランス国内で起こり、ジャン・リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)監督とフランソワ・トリュフォー(Francois Truffaut)監督が映画の上映中止を要求、また審査員であったテレンス・ヤング(Terence Young)、モニカ・ヴィッティ(Monica Vitti)、ロマン・ポランスキー(Roman Polanski)の3人がパルム・ドールの審査を放棄した。
これにより、この年は5日間早い閉幕を余儀なくされた。
■国際問題に翻弄されてきたカンヌ国際映画祭
さまざまな国際問題がこの映画祭に影響を及ぼしてきた。1968年には『火事だよ! カワイ子ちゃん(The Firemen's Ball)』を上映したたチェコ出身のミロス・フォアマン(Milos Forman)監督が、ソ連による突然のプラハ侵攻により帰国できなかった。フォアマンは、ハリウッドに渡り、後に『カッコーの巣の上で(One Flew Over The Cuckoo’s Nest)』を監督する。
1981年には、ポーランドの連帯が共産政権と闘ったことを描いたアンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda)監督の『鉄の男(Man of Iron)』がパルム・ドールを受賞している。「私たちにとってこの受賞はとても重要なこと。この受賞は我々全員の受賞であり、団結による受賞である」とワイダ監督はAFPに語っている。
カンヌはそのきらびやかさと活気でよく知られているが、世界の窓の役割を果たしていることでも有名だ。
1955年の同映画祭開催中には、 ジェームズ・ディーン(James Dean)とグレース・ケリー(Grace Kelly)が見出されている。
1959年にはキム・ノヴァク(Kim Novak)がドレスのストラップが落ちて胸をさらしてしまったところを写真に収められ、同様のことが2005年にソフィー・マルソー(Sophie Marceau)にも起きた。
また男性も同様で、1977年アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)は、ボディービルディングに関するドキュメンタリーへの注目を集めるために、ビーチで筋肉トレーニングをしている様子を撮影した。
クエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)監督の処女作品『レザボアドッグス(Reservoir Dogs)』も上映されており、1993年にはニュージーランド人のジェーン・カンピオン(Jane Campion)が女性で初めてパルム・ドールを獲得している。
写真は世界大戦後の1946年9月に再開されたカンヌ国際映画祭でフランス国歌『ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)』を歌うグレイス・ムーア(Grace Moore、左から2番目)。(c)AFP
当時、ファシズムに対する自由世界の打開策が映画に求められていた。しかしヒトラーがポーランドに侵攻した同年9月3日、カンヌの街の灯りが消えた。映画祭ばかりでなく、平和にも幕が下りてしまった。
■自由の象徴として設立された映画祭
カンヌ国際映画祭は元来、ヴェネチア国際映画祭(Venice International Film Festival)とイデオロギー的に相対する映画祭として設立された。ヴェネチア国際映画祭では1938年に、ドイツのレニ・リーフェンシュタール(Leni Riefenstahl)監督の『オリンピア(Olympia)』が金獅子賞を受賞した。この受賞は、ナチスのプロパガンダの一部であると非難され、当時の米国人や英国人はヴェネチアには戻らないと断言していた。
脚本家フィリップ・エルランジェ(Philippe Erlanger)は「その結果、ヴェネチア国際映画祭は信用を失った。それなら、フランスでモデルとなる映画祭を作ってはどうだろうか。自由な世界のための映画祭を。もしかしたら奇跡的に平和が守られるかも知れない」と回想した。
世界大戦が終わり、1946年再開された同映画祭は21か国から作品が集められ、できるだけ多くの人を喜ばせるために11個の賞が設けられた。デヴィッド・リーン(David Lean)監督の『逢びき(Brief Encounter)』、ロベルト・ロッセリーニ(Roberto Rossellini)監督の『無防備都市(Open City)』などもそのその年に賞を受けている。
当時の映画は白黒で字幕もほとんどなく、冷戦や世界中に広がっていた独立運動を扱った政治的なものが多かった。
1972年までは、各国が自国の出品作を選出していたが、ドイツの映画が初めて選ばれたのは1949年で、日本やイスラエル、スペインの映画は1951年に選ばれた。
また1950年代には、植民地政策やナチスの強制収容所などを扱った映画や、アラン・レネ(Alain Resnais)監督作品『二十四時間の情事(Hiroshima Mon Amour)』も、米国との外交上の平和を維持するために参加が認められなかった。
1968年5月には学生と労働者の反体制運動「5月革命」がフランス国内で起こり、ジャン・リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)監督とフランソワ・トリュフォー(Francois Truffaut)監督が映画の上映中止を要求、また審査員であったテレンス・ヤング(Terence Young)、モニカ・ヴィッティ(Monica Vitti)、ロマン・ポランスキー(Roman Polanski)の3人がパルム・ドールの審査を放棄した。
これにより、この年は5日間早い閉幕を余儀なくされた。
■国際問題に翻弄されてきたカンヌ国際映画祭
さまざまな国際問題がこの映画祭に影響を及ぼしてきた。1968年には『火事だよ! カワイ子ちゃん(The Firemen's Ball)』を上映したたチェコ出身のミロス・フォアマン(Milos Forman)監督が、ソ連による突然のプラハ侵攻により帰国できなかった。フォアマンは、ハリウッドに渡り、後に『カッコーの巣の上で(One Flew Over The Cuckoo’s Nest)』を監督する。
1981年には、ポーランドの連帯が共産政権と闘ったことを描いたアンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda)監督の『鉄の男(Man of Iron)』がパルム・ドールを受賞している。「私たちにとってこの受賞はとても重要なこと。この受賞は我々全員の受賞であり、団結による受賞である」とワイダ監督はAFPに語っている。
カンヌはそのきらびやかさと活気でよく知られているが、世界の窓の役割を果たしていることでも有名だ。
1955年の同映画祭開催中には、 ジェームズ・ディーン(James Dean)とグレース・ケリー(Grace Kelly)が見出されている。
1959年にはキム・ノヴァク(Kim Novak)がドレスのストラップが落ちて胸をさらしてしまったところを写真に収められ、同様のことが2005年にソフィー・マルソー(Sophie Marceau)にも起きた。
また男性も同様で、1977年アーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)は、ボディービルディングに関するドキュメンタリーへの注目を集めるために、ビーチで筋肉トレーニングをしている様子を撮影した。
クエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)監督の処女作品『レザボアドッグス(Reservoir Dogs)』も上映されており、1993年にはニュージーランド人のジェーン・カンピオン(Jane Campion)が女性で初めてパルム・ドールを獲得している。
写真は世界大戦後の1946年9月に再開されたカンヌ国際映画祭でフランス国歌『ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)』を歌うグレイス・ムーア(Grace Moore、左から2番目)。(c)AFP