【ニューヨーク/米国 3日 AFP】今月出版される故ロナルド・レーガン(Ronald Reagan)元米大統領の日記が、米国のエンターテインメント誌「ヴァニティ・フェア(Vanity Fair)」に掲載された。

 リビアの最高指導者ムアマル・カダフィ(Moamer Khadafi)大佐への強烈な嫌悪感、米国のダンサー、フレッド・アステア(Fred Astaire)への傾倒、英国のチャールズ皇太子(Prince Charles)訪米時に起きたハプニングなど、1981年から8年間にわたる任期中のさまざまな出来事が記されている。

 掲載された日記からは、元大統領の繊細な側面、冷戦終結期の知られざる事実を、垣間見ることができる。

■「撃たれると痛い」

 レーガン元大統領は任期中、ほとんど欠かさず日記を付けたという。日記を付けなかったのは、就任後間もなく発生した暗殺未遂事件で銃弾を受け、入院した時だけだった。

 銃撃された日の日記は、退院後に書かれたもの。その最後は冗談めかしてか、簡潔に「撃たれると痛い」と結ばれている。

 日記の記述は、「個人的な事柄」から「世界的な事件」へと軽快に移動する。例えば、1981年3月4日の日記。「結婚記念日。身に過ぎる29年の幸せな日々。パキスタンでハイジャックされた航空機、カブールに着陸」と記されている。

 元大統領の繊細な側面を表すのは、ニューヨークでで行われたパレードで、沿道を埋め尽くす人々から暖かい声援を受けた日。感傷的な感想が記されている。

「これがいつまでも続くはずがないと自分に言い聞かせ続けたが、彼らの暖かさと愛情は真に本心からのように見え、胸が詰まった。彼らを失望させることがないようにと祈り続けた」

 失敗に終わったイランの人質救出作戦で死亡した米兵の遺族と会った日の日記には「ある夫婦が、ただ一人の息子を失った。残された妻も、そこにいた。終日、胸が詰まった」と書かれている。

■外交の場面で

 レーガン元大統領のユーモアのセンスは、1987年2月、当時のイランの最高指導者だったルホラ・ホメイニ(Ruhollah Khomeini)師についての記述で発揮されている。

「テヘランでイラン人が、アメリカのウォールストリート・ジャーナルの記者を逮捕。ユダヤ教徒に対するスパイ容疑でパスポートを没収され、投獄された。彼はカトリック教徒だ。私はホメイニを誘拐する準備はできている」

 また、中国での豪華な晩さん会を回想しての記述は「ディック・ニクソン(Richard Nixon)のアドバイスに従い、それが何か聞くことはせず、ひたすら飲み込んだ。うまく皿の脇に寄せて、残せたものも多少あった。2人ともはしはうまく使えた」

 1981年に英国のチャールズ皇太子の訪問を受けた日の「ハイライト」は、「その日、犯された1つのマナー違反」として記録されている。「係が恭しく皇太子に運んだ紅茶には、ティーバッグが入っていた。どうすべきか分からなかった」

 しかし、リビアのカダフィ大佐を「狂人」、「軽蔑にも値しない」と呼ぶ一方、当時のアリエル・シャロン(Ariel Sharon)イスラエル国防相を「戦争を望んでいるように見える悪漢」と評しする厳しい記述もみられた。

■旧ソ連とゴルバチョフ氏

 米ソ核軍拡競争終結の交渉相手だったのは、当時のソビエト共産党書記長、ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)氏。レーガン大統領といえば冷戦を終結に導いたことが知られているが、ゴルバチョフ氏との個人的な関係もよく知られている。

 ゴルバチョフ氏についての最初の記述は1985年3月、ゴルバチョフ氏が権力の座についた時に登場する。しかし、それは、その後の歴史を予感させるものではなかった。単に、「亡くなったコンスタンティン・チェルネンコ(Konstantin Chernenko)書記長のために、ソビエト大使館に記帳に行かねば」と書かれていた。

 旧ソ連政府を「攻撃を受けることについて被害妄想的」と評していたレーガン元大統領も、後にはゴルバチョフ書記長を「ゴルビー」と呼ぶまでになっていった。「彼と私の間に一種の科学反応があることは疑いの余地がない」と1988年の日記にある。プライベートでの親密な友情が日記の記述から伺うことができる。

■家族

 ナンシー夫人に対する愛情も生涯一貫して色あせることはなかった。

 1987年9月、ナンシー夫人が友人と共に過ごすしていると「いつものように彼女が恋しい。レックスも同じだ」とペットの犬を引き合いに出して書き記した。

 しかし、家庭も時には悩みの種だったようだ。息子のロンについて「話の途中で電話を切ったことを謝るまで、彼とは口をきかない」と傷心を吐露している。

 日記には、大統領職が私生活に及ぼした影響についても書かれている。

 1989年1月19日、大統領として最期の執務日、日記はこの言葉で終わっている。「明日、私は、大統領であることをやめる」

 写真はホワイトハウスに、チャールズ皇太子夫妻を迎えるレーガン大統領とナンシー夫人。(1985年11月9日撮影)(c)AFP/DON RYPKA