エリツィン前大統領の略歴 - ロシア
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【モスクワ/ロシア 24日 AFP】ボリス・エリツィン(Boris Yeltsin)前ロシア大統領が23日、76歳で死去した。1991年、共産党によるロシア支配を終焉させ、混乱のなかロシアへの市場経済導入に乗り出した。
エリツィン前大統領の略歴:
1985年
12月24日:当時のミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)共産党書記長に取
り立てられ、共産党モスクワ市委員会の第1書記に。
1987年
11月11日:ゴルバチョフ氏を批判して解任。
1988年
2月17日:共産党政治局員候補から外される。
1989年
3月26日:ソビエト連邦人民代議員に当選、実質的な民主派野党指導者に。
1990年
7月12日:共産党離党。
1991年
6月12日:ロシア連邦の大統領に当選。
8月:ゴルバチョフ氏に対する共産党のクーデター未遂事件発生。議会本部から抵抗の先頭に立つ。
11月6日:ロシア共産党に解散命令。
12月8日:ソ連邦の解体を宣言。
1992年
1月:ゴルバチョフ氏のソ連大統領退任にともない、主要経済セクターの民営化を伴う経済改革を開始。
1993年
9月21日:ロシア連邦の議会を解散。議員らの抵抗を引き起こす。
10月3日-4日:ロシア連邦議員が立てこもる議会ビルにむけて戦車砲弾を撃ち込む。
12月12日:国民投票で新ロシア憲法成立。ロシア連邦議会選実施。
1994年
12月11日:ロシア連邦チェチェン共和国に派兵。
1995年
7月、10月:2度の心臓発作。
1996年
6月27日:心臓発作再発。
1月3日:ロシア大統領に再選。
11月5日:5か所の心臓バイパス手術。
1997年
10月9日:再選目指さないと表明。
1998年
8月:ロシアの経済危機で支持率急落。
1999年
8月9日:連邦保安庁(FSB)のウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)長官を首相に任命。
12月31日:任期を残して辞任。
2007年
4月23日:心臓発作を起こし死去。76歳。
写真はモスクワで、ゴルバチョフ大統領(前列中央)時代の旧ソビエト連邦共産党大会。故エリツィン前大統領(2列目左)のほか、アンドレイ・グロムイコ(Andrei Gromyko)外相(前列右)やエゴール・リガチョフ(Igor Ligachyov )第二書記(前列左)らの顔も見える(1986年2月25日撮影)。(c)AFP
エリツィン前大統領の略歴:
1985年
12月24日:当時のミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)共産党書記長に取
り立てられ、共産党モスクワ市委員会の第1書記に。
1987年
11月11日:ゴルバチョフ氏を批判して解任。
1988年
2月17日:共産党政治局員候補から外される。
1989年
3月26日:ソビエト連邦人民代議員に当選、実質的な民主派野党指導者に。
1990年
7月12日:共産党離党。
1991年
6月12日:ロシア連邦の大統領に当選。
8月:ゴルバチョフ氏に対する共産党のクーデター未遂事件発生。議会本部から抵抗の先頭に立つ。
11月6日:ロシア共産党に解散命令。
12月8日:ソ連邦の解体を宣言。
1992年
1月:ゴルバチョフ氏のソ連大統領退任にともない、主要経済セクターの民営化を伴う経済改革を開始。
1993年
9月21日:ロシア連邦の議会を解散。議員らの抵抗を引き起こす。
10月3日-4日:ロシア連邦議員が立てこもる議会ビルにむけて戦車砲弾を撃ち込む。
12月12日:国民投票で新ロシア憲法成立。ロシア連邦議会選実施。
1994年
12月11日:ロシア連邦チェチェン共和国に派兵。
1995年
7月、10月:2度の心臓発作。
1996年
6月27日:心臓発作再発。
1月3日:ロシア大統領に再選。
11月5日:5か所の心臓バイパス手術。
1997年
10月9日:再選目指さないと表明。
1998年
8月:ロシアの経済危機で支持率急落。
1999年
8月9日:連邦保安庁(FSB)のウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)長官を首相に任命。
12月31日:任期を残して辞任。
2007年
4月23日:心臓発作を起こし死去。76歳。
写真はモスクワで、ゴルバチョフ大統領(前列中央)時代の旧ソビエト連邦共産党大会。故エリツィン前大統領(2列目左)のほか、アンドレイ・グロムイコ(Andrei Gromyko)外相(前列右)やエゴール・リガチョフ(Igor Ligachyov )第二書記(前列左)らの顔も見える(1986年2月25日撮影)。(c)AFP