エリツィン前露大統領死去、各国の反応 - ロシア
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【モスクワ/ロシア 24日 AFP】ボリス・エリツィン(Boris Yeltsin)前大統領が23日、心不全のためモスクワ市内の病院で死去した。76歳だった。1991-99年の任期中、ソ連を解体してロシアを民主主義と資本主義に移行させた立役者だった。
ロシア大統領府は、25日にモスクワ市内で葬儀を執り行い、同日を祝日にすると発表した。
ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)露元大統領は23日、「生前、国の利益のために大きな仕事をしたと同時に、深刻な間違いもあった。悲劇的な運命だった」と述べた。
ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)米大統領は、「ロシアの大変革期における歴史的人物だった」とのコメントを発表。トニー・ブレア(Tony Blair)英首相は、「非凡さを備えた人物であり、ロシア史上で大事な時期に極めて重大な役割を演じた」と称賛した。
また、エリツィン前大統領が築き上げた民主主義を逆行させていると批判されているウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)現大統領は、「前大統領のもとで民主主義の新生ロシアが誕生し、自由主義国家が世界に開かれた」とのコメントを寄せた。
潘基文(パン・キムン、Ban Ki-moon)国連(UN)事務総長は、「前大統領は、ロシアの政治・経済改革を推進し、東西の和解を促進した人物として我々の記憶に残るだろう」との声明を発表した。
北大西洋条約機構(NATO)のヤープ・デホープスヘッフェル(Jaap de Hoop Scheffer)事務総長は、「冷戦崩壊の陣頭指揮に立った人物だった」と語った。
エリツィン前大統領は、旧ソ連共産党政治局員を経て、1991年のロシア共和国大統領選で当選した。同年8月、ゴルバチョフ大統領(当時)を別荘に軟禁した旧ソ連共産党保守派によるクーデター未遂事件で、最高会議ビルに立てこもり抵抗。同年12月、前大統領が主導した独立国家共同体(CIS)創設に伴い、ソ連は解体された。
前大統領は、軍部および社会主義の弱体化に伴い、資本主義、多元主義、報道の自由を新生ロシアに導入した。こうしたことから西側諸国では評価が高まったが、その一方で、1994年にロシアからの独立を求めるチェチェン共和国に軍事介入したことで、国内での支持率が低下。泥酔による奇行も多かった。
ロシア国民の大半は、今でも、ロシアをかつての大国から弱小経済国、そして米国の脇役におとしめた張本人として、前大統領を非難するムードが広がっている。欧米では「冷戦後、東西の架け橋としての役割を果たした」と好意的にとらえられているものの、国民の多くはこれを「降伏」と見なしている。
前年12月の世論調査では、「エリツィンは善よりも害をもたらした」と答えた国民が70%にものぼり、「彼を告訴すべき」とする国民も半数にのぼった。
前大統領は、1999年12月31日に電撃辞任し、モスクワ郊外でナイナ夫人と暮らしていた。心臓病の持病を抱えて入退院を繰り返していたものの、時折ハンティングやテニスを楽しむといった静かな生活を送っていた。
写真は、選挙キャンペーンで訪れたノボシビルスク(Novosibirsk)市で、ロックに合わせて踊るエリツィン前大統領(1996年6月11日撮影)。(c)AFP
ロシア大統領府は、25日にモスクワ市内で葬儀を執り行い、同日を祝日にすると発表した。
ミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)露元大統領は23日、「生前、国の利益のために大きな仕事をしたと同時に、深刻な間違いもあった。悲劇的な運命だった」と述べた。
ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)米大統領は、「ロシアの大変革期における歴史的人物だった」とのコメントを発表。トニー・ブレア(Tony Blair)英首相は、「非凡さを備えた人物であり、ロシア史上で大事な時期に極めて重大な役割を演じた」と称賛した。
また、エリツィン前大統領が築き上げた民主主義を逆行させていると批判されているウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)現大統領は、「前大統領のもとで民主主義の新生ロシアが誕生し、自由主義国家が世界に開かれた」とのコメントを寄せた。
潘基文(パン・キムン、Ban Ki-moon)国連(UN)事務総長は、「前大統領は、ロシアの政治・経済改革を推進し、東西の和解を促進した人物として我々の記憶に残るだろう」との声明を発表した。
北大西洋条約機構(NATO)のヤープ・デホープスヘッフェル(Jaap de Hoop Scheffer)事務総長は、「冷戦崩壊の陣頭指揮に立った人物だった」と語った。
エリツィン前大統領は、旧ソ連共産党政治局員を経て、1991年のロシア共和国大統領選で当選した。同年8月、ゴルバチョフ大統領(当時)を別荘に軟禁した旧ソ連共産党保守派によるクーデター未遂事件で、最高会議ビルに立てこもり抵抗。同年12月、前大統領が主導した独立国家共同体(CIS)創設に伴い、ソ連は解体された。
前大統領は、軍部および社会主義の弱体化に伴い、資本主義、多元主義、報道の自由を新生ロシアに導入した。こうしたことから西側諸国では評価が高まったが、その一方で、1994年にロシアからの独立を求めるチェチェン共和国に軍事介入したことで、国内での支持率が低下。泥酔による奇行も多かった。
ロシア国民の大半は、今でも、ロシアをかつての大国から弱小経済国、そして米国の脇役におとしめた張本人として、前大統領を非難するムードが広がっている。欧米では「冷戦後、東西の架け橋としての役割を果たした」と好意的にとらえられているものの、国民の多くはこれを「降伏」と見なしている。
前年12月の世論調査では、「エリツィンは善よりも害をもたらした」と答えた国民が70%にものぼり、「彼を告訴すべき」とする国民も半数にのぼった。
前大統領は、1999年12月31日に電撃辞任し、モスクワ郊外でナイナ夫人と暮らしていた。心臓病の持病を抱えて入退院を繰り返していたものの、時折ハンティングやテニスを楽しむといった静かな生活を送っていた。
写真は、選挙キャンペーンで訪れたノボシビルスク(Novosibirsk)市で、ロックに合わせて踊るエリツィン前大統領(1996年6月11日撮影)。(c)AFP