【ジヴェルニー/フランス 7日 AFP】画架や画筆を手にしたクロード・モネ(Claude Monet)が、ノルマンディ地方の静かな村ジヴェルニー(Giverny)で落ち着ける時間はほとんどなかった。18か国から集まった新進のアーティストたちが彼の元を訪れたのだ。

 印象派の巨匠、モネが暮らしたこのジヴェルニー周辺に、1885年から1915年にかけて集まったアーティストたちが手掛けた作品の展示会が、7月1日までジヴェルニーのアメリカ・アート博物館(Museum of American Art)で開催される。

 「当時、ジヴェルニーには60人のアメリカ人アーティストたちがそれぞれに滞在していたと考えられていました。しかし調査を続けるに従い、18か国から計365人の芸術家が当地を訪れていたことが判明したのです」同展示会の責任者であるKatherine Bourguignon氏は語った。

 モネを慕う外国人の多くは米国から訪れるアーティストだったが、オーストラリア、オーストリア・ハンガリー帝国、英国、カナダ、スイスからも、芸術家たちがモネの元に集まった。

 当時、芸術家としての頂点にいたモネは、1883年にジヴェルニーに移住し、セーヌ川のほとりで絶え間なく変化するぼんやりとした光の中で絵を描き続けた。モネがあらゆる天候のもと、一日のさまざまな時間で干し草の山を描き分け、庭のスイセンを描いたこの場所は、300人程が暮らす村の近くだった。

 モネは、磁石のように自分が引きつけてしまう弟子たちを大好きだったという訳ではないようだ。当初、セオドア・ロビンソン(Theodore Robinson)らとは友人関係を築いたが、その後、第一次世界大戦が始まるまでは、弟子たちとは距離を置いていた。

 「弟子の中には、いつまでたってもモネに会える日は来ないのではないかと思っていた者もいたようです。しかし彼らは、いつかほかの芸術家たちと親交を持てるという夢を持ち、自分たちを慰めていたんです」とBourguignon氏は語った。

 モネの元を訪れる外国人の多くは、地元のBaudyホテルに滞在した。しかし、年月がたつにつれ、ジヴェルニーに家を持ち、家族と共に定住する者も現れた。アメリカから来たセオドア・バトラー(Theodore Butler)は、モネの義娘の一人と結婚した。

 チェコのVaclav Radinskiやアメリカのジョン・ブレック(John Breck)、Mary MacMonniesのように、ジヴェルニーでの生活を、Salon de Parisに作品を展示するための足がかりとした者もいた。Salon de Parisへの出展は、成功への確かな道すじだった。例えば、1890年にジヴェルニーを訪れたGuy Roseは、カリフォルニア印象派と呼ばれるアートの担い手となったのだ。

 「Impressionist Giverny: A Colony of Artists, 1885-1915」と題された今回の展示会では、ジヴェルニーでの生活をたどる絵画や写真、手書きの書類など95点が展示される。モネが一人で試みを続けながら生み出されたものは、当時のモネの作品よりも、さらに装飾された学術的なものだった。

 ジヴェルニーのアメリカ・アート博物館の15周年を記念して、サンディエゴ美術館で7月21日から10月1日まで開催される展示会では、ペンシルベニア(Pennsylvania)のDaniel Terra氏が後援を務める。

 写真は、セオドア・ロビンソンによる1888年~1890年頃のモネの青写真「Portrait of Claude Monet」(撮影日時不詳)。(c)AFP/Terra Foundation for American Art