【ベルリン/ドイツ 12日 AFP】8日から18日まで開催されている第57回ベルリン国際映画祭(The 57th Berlin International Film FestivalBerlinale)で11日、コンペ部門外で出品されたクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)監督作品「硫黄島からの手紙(Letters From Iwo Jima)」の欧州プレミア上映会が開催された。

 ほぼ全編が日本語で撮られた同作品は、第二次世界大戦の中でも戦史に残る戦いとなった激戦の地、硫黄島での戦いを、イーストウッド監督が日米両方の視点から描いた硫黄島2部作の第二弾。本作品よりも先に公開された「父親たちの星条旗(Flags of our Fathers)」は、硫黄島の戦いを米兵の視点から描いており、本作では、日本兵から見た硫黄島の戦いが描かれている。米国で高い評価を得てオスカーにもノミネートされている本作品は、日本でも称賛を受けている。

■戦争で家族を失う気持ちに国籍など関係ない

 プレミア後の記者会見で、本作では戦争の無益さを描きたかったと語ったイーストウッド監督。現在も進行しているイラクでの戦争が、この作品を撮る直接的なきっかけではなかったとしたが、本作品は「どのような戦いにもつきまとう恐怖を描いた作品」と語る。「戦争映画を撮るときは常に、現在も、そして過去にも同じような悲惨な出来事が起こっていることを思い知らされる。すべての戦いの無意味さには類似点があり、それがこのような映画を撮りたいと思う理由の1つになった。これらは戦争を肯定する映画ではない。戦争で息子を失う母親の気持ちや、夫を失う妻の気持ちは、国籍など関係なく等しいものだということを描きたかった。」と思いを語るイーストウッド監督。

■この2部作は、イーストウッド監督の若き日の戦争映画に対する回答

 「私は1940年代の戦争映画を見て育った。当時はすべてがプロパガンダだった。すべての映画において、我々が善でその他が悪だった。でもこの2部作では、どちらにも善と悪があることを伝えたかった。そして人間の条件に関する何かを伝えられればと思った。」

 俳優を始めたころは、西部劇やアクション映画でタフガイを演じていたイーストウッド監督は、実際の戦いを経験した退役軍人たちがこの映画を評価してくれることを誇りに思うと語る。「彼らは日本兵がどのように生きたのかとても知りたがっていた。実際にあの島で、生きるために戦っていたときに自分がやったことを、62年が経過した今、違うように考えてしまうのは簡単なことです。」

 さらに、作品を撮る上で言葉の壁は問題ではなかったと語る。「演者たちがポイントをつかんでいることは、感覚で理解できる。すべてが間違いなく進んでいるときは、そう感じる。言葉は関係無かった。私はただ、ストーリーを的確に伝えることを意識しなければならなかった。そして、私の視点から、私のやり方で伝えた。この映画とは、私が惹かれたものとは、戦場で戦う少年たちの中に見える人間の要素だったんだ。」


 硫黄島の戦いでは2万人以上の日本兵と約7千人の米兵が犠牲となった。命を落とした日本兵のうち、捕虜になることを避けるため、上官に命じられ自害をしたものが多かった。硫黄島に招集された若い夫を演じた日本人俳優の二宮和也(Kazunari Ninomiya)は、「この映画によって祖父の世代をかいま見ることができた。僕が知らなかった日本を見つけました。」とコメントを残した。

 イーストウッド監督は、25日に発表される第79回アカデミー賞(The 79th Academy Awards)の行方は気にしていないと語った。「皆さんに見ていただけるだけでうれしい。それ以外に何が起ころうとも私は構いません。」

 写真はフォトコールに登場したイーストウッド監督(左)と主演を務めた渡辺謙(Ken Watanabe)。(c)AFP/DDP/MARCUS BRANDT