白南淳外相が死去、6か国協議への影響は - 北朝鮮
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【ソウル/韓国 3日 AFP】北朝鮮の白南淳(Paek Nam-Sun)外相が死去した。77歳だった。亡くなった日時、死因などについては明らかにされていない。
3日、国営朝鮮中央通信が報じた第1報、金正日(Kim Jong-Il)総書記は同日、「深い哀悼の意を表明する」として白氏のひつぎに供花を献呈した。
韓国の諜報(ちょうほう)機関、国家情報院の広報官も同日、白外相死去の事実を確認したことを認めた。AFPの取材に応じた韓国外交通商省高官によると、白外相は慢性腎不全を患っていた。
■6か国協議への影響は?
白外相は1998年に北朝鮮外相に就任し、国際社会から孤立した共産政権の「表の顔」として知られた。先日行われた北朝鮮の核開発問題をめぐる6か国協議にも代表として出席していたが、白外相の死去によって6か国協議などの国際交渉をめぐる北朝鮮の方針に大きな変化はない、と専門家らはみている。6か国協議は12月に再開されたが具体的成果が得られず、次回協議日程も決定されないまま休会した。
また、北朝鮮研究が専門の韓国のKim Keun-Shik教授は、「白外相の死去が6か国協議にもたらす影響はないだろう。白氏が外相というのは名目上で、核問題関連の協議を実際に担当しているのは姜錫柱(カン・ソクチュ、Kang Sok-Ju)第1外務次官だ」と語った。
■北朝鮮の外交分野の専門家としての経歴
白外相は1929年生まれ。金日成総合大学を卒業後、1968年に朝鮮労働党の対外文化連絡委員会副委員長に就任。外交分野で頭角を現し、1972年には韓国との国境・板門店(Panmunjom)で行われた南北赤十字会談に出席。1990年代には南北会談のためソウルを4回訪問した。1990年からは最高人民会議の議員も務めた。また1974年から79年には駐ポーランド北朝鮮大使として派遣された。
最後の外国訪問は、昨年7月にマレーシアで開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラムで、その際にクアラルンプール(Kuala Lumpur)で医師の治療を受けたと韓国の聯合(Yonhap)ニュースが報じていた。
写真は2000年7月28日、アセアン閣僚会議と平行して行われた北朝鮮-米国外相対談の前にマドレーン・オルブライト(Madeleine Albright)元米国務長官と握手を交わす故白南淳外相。(c)AFP/Emmanuel DUNAND