贅を尽くしたフセイン宮殿が、世界最大の米国大使館と化した - イラク
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【バグダッド/イラク 3日 AFP】イラクの独裁者、サダム・フセイン元大統領は処刑されたが、イラク全土に残る大統領宮殿には現在も、贅を尽くした独裁時代の面影が残っている。
■名前は「人々のための宮殿」、しかしその扉は堅く閉ざされていた
故フセイン元大統領は24年間の独裁政権時代、絶対的な権力を具現化した8つの華美な宮殿を国内各地に建設した。これらの宮殿はフセイン政権の遺産であり、抑圧政治のシンボルとして反フセイン派の人々に忌み嫌われてきた。
8つの宮殿を合わせた総面積は31.5平方キロになり、その三分の一は元大統領が作らせた複数の人造湖が占める。1998年にイラクを視察した国連代表団によると、宮殿施設として豪華な邸宅や貴賓接待用の別荘、執務室、倉庫、車庫など全体で建造物約1000棟が存在する。
「人民宮殿」と呼ばれる本殿は、1930年代に建てられたが、1995年にフセイン氏が別棟を増築。銘文には元大統領を称賛し、「大統領閣下、最高指導者サダム・フセイン、神に守られた者」と刻まれている。
フセイン政権はこうした宮殿兼要塞を「人々のための宮殿」と称することを好んだが、実際には元大統領が率いたバース(Baath)党党員以外は堅く守られた城壁の中に入ることさえなかった。
バグダッドの「共和国宮殿」の碑にアラビア語で刻まれた銘文には、「古代メソポタミアの末裔たちよ、祖国の外から聞こえるものを信ずるなかれ」とある。碑文は読む者を威圧するようにこう続く。「ただ汝の指導者、大統領、汝の戦いを導く者、サダム・フセインだけに向けばよい。彼の語りかけることのみを信じよ。そのほかに聞こえるものはすべて噂や嘘と信ぜよ」。
「共和国宮殿」と呼ばれた「壕」の中は現在、チグリス川の汚水が浸水し、悪臭が漂い、腐食した絨毯が残っている。
■現在、宮殿の多くは駐留米軍が拠点として使用されている
絶対的な権力の象徴として作られた宮殿の多くは現在、2003年にフセイン政権を転覆させたイラク駐留米軍が拠点として使用している。
バグダッド第2の宮殿アル・ファウ(Al-Faw)宮殿では、フセイン氏がきらびやかに飾った円形大広間で、元大統領が嫌悪した米国に対し、米軍兵士らが忠誠を誓っている。
バグダッドの3番目の宮殿は、米軍が支援する現イラク政府の官邸があり厳重警戒態勢が敷かれたグリーンゾーン内にあるが、世界でも最大の米国大使館と化している。
バグダッド外の5つの宮殿は、1日に元大統領の遺体が埋葬された場所に近い故郷のティクリット(Tikrit)、イラク第2と第3の都市であるバスラ(Basra)とモスル(Mosul)、バグダッド北西サラヘディン(Salaheddin)州のサルサル(Thar Thar)湖畔、さらに中部サマラ(Samarra)に近いジャバルマフル(Jabal Makhul)にある。
イラク国民数百万人の困窮状態をよそに、元大統領は最大の関心と財産をこれらの宮殿に惜しみなく注ぎ、際限なく大理石を輸入しては、回廊や大広間、金の浮き彫り細工や複雑なモザイクを施した扉にふんだんに使用した。さらに何万個ものレンガ一つ一つに、自分のイニシャルである「SH」の文字を刻み込ませた。今日、バグダッド駐在の米外交官らを囲んでいるのは、米政府が最大の敵とみなした人物の何千ものイニシャルだ。
■宮殿に見せかけた広島型原爆級の攻撃にも耐えうる地下壕も
富と権力の誇示以外の目的が、隠された宮殿もある。米軍が「信ずる者の宮殿」と別称をつけたバグダッドの共和国宮殿は、実は広島型原爆級の攻撃にも耐えうる設計で建設された最新鋭地下壕なのである。
「この宮殿は、宮殿に見せかけた地下壕です。壕を隠すために上に宮殿が建てられているのです。おそらくどんな攻撃にも、核爆弾にも耐えうるでしょう」と米軍の案内役Bob Tubbs軍曹は説明する。
米軍は2003年のバグダッド空爆の初日未明、最初にGBU-28バンカー・バスター爆弾2発(900キロ分)を、続いて6発以上のバンカー・バスターをこの宮殿に投下し、多大な損壊を与えた。
しかし、「スマート爆弾はドームは突き破ったものの、この偽の床に到達したところで爆発して終わりだった。見てください、ここが地下壕の構造物の一番表側の部分ですが、まったく無傷です。この壕は、箱が何重にも重なったような構造なのです」(Tubbs軍曹)。
宮殿を模したこの秘密の壕は、1980年代に建設が開始され、2000年に完成。しかし、2003年3月に占拠され、現在は米国人が警備する。
写真は故フセイン元大統領の宮殿のひとつで、「王座」に座る米軍兵士(2006年11月11日撮影)。(c)AFP/DAVID FURST
■名前は「人々のための宮殿」、しかしその扉は堅く閉ざされていた
故フセイン元大統領は24年間の独裁政権時代、絶対的な権力を具現化した8つの華美な宮殿を国内各地に建設した。これらの宮殿はフセイン政権の遺産であり、抑圧政治のシンボルとして反フセイン派の人々に忌み嫌われてきた。
8つの宮殿を合わせた総面積は31.5平方キロになり、その三分の一は元大統領が作らせた複数の人造湖が占める。1998年にイラクを視察した国連代表団によると、宮殿施設として豪華な邸宅や貴賓接待用の別荘、執務室、倉庫、車庫など全体で建造物約1000棟が存在する。
「人民宮殿」と呼ばれる本殿は、1930年代に建てられたが、1995年にフセイン氏が別棟を増築。銘文には元大統領を称賛し、「大統領閣下、最高指導者サダム・フセイン、神に守られた者」と刻まれている。
フセイン政権はこうした宮殿兼要塞を「人々のための宮殿」と称することを好んだが、実際には元大統領が率いたバース(Baath)党党員以外は堅く守られた城壁の中に入ることさえなかった。
バグダッドの「共和国宮殿」の碑にアラビア語で刻まれた銘文には、「古代メソポタミアの末裔たちよ、祖国の外から聞こえるものを信ずるなかれ」とある。碑文は読む者を威圧するようにこう続く。「ただ汝の指導者、大統領、汝の戦いを導く者、サダム・フセインだけに向けばよい。彼の語りかけることのみを信じよ。そのほかに聞こえるものはすべて噂や嘘と信ぜよ」。
「共和国宮殿」と呼ばれた「壕」の中は現在、チグリス川の汚水が浸水し、悪臭が漂い、腐食した絨毯が残っている。
■現在、宮殿の多くは駐留米軍が拠点として使用されている
絶対的な権力の象徴として作られた宮殿の多くは現在、2003年にフセイン政権を転覆させたイラク駐留米軍が拠点として使用している。
バグダッド第2の宮殿アル・ファウ(Al-Faw)宮殿では、フセイン氏がきらびやかに飾った円形大広間で、元大統領が嫌悪した米国に対し、米軍兵士らが忠誠を誓っている。
バグダッドの3番目の宮殿は、米軍が支援する現イラク政府の官邸があり厳重警戒態勢が敷かれたグリーンゾーン内にあるが、世界でも最大の米国大使館と化している。
バグダッド外の5つの宮殿は、1日に元大統領の遺体が埋葬された場所に近い故郷のティクリット(Tikrit)、イラク第2と第3の都市であるバスラ(Basra)とモスル(Mosul)、バグダッド北西サラヘディン(Salaheddin)州のサルサル(Thar Thar)湖畔、さらに中部サマラ(Samarra)に近いジャバルマフル(Jabal Makhul)にある。
イラク国民数百万人の困窮状態をよそに、元大統領は最大の関心と財産をこれらの宮殿に惜しみなく注ぎ、際限なく大理石を輸入しては、回廊や大広間、金の浮き彫り細工や複雑なモザイクを施した扉にふんだんに使用した。さらに何万個ものレンガ一つ一つに、自分のイニシャルである「SH」の文字を刻み込ませた。今日、バグダッド駐在の米外交官らを囲んでいるのは、米政府が最大の敵とみなした人物の何千ものイニシャルだ。
■宮殿に見せかけた広島型原爆級の攻撃にも耐えうる地下壕も
富と権力の誇示以外の目的が、隠された宮殿もある。米軍が「信ずる者の宮殿」と別称をつけたバグダッドの共和国宮殿は、実は広島型原爆級の攻撃にも耐えうる設計で建設された最新鋭地下壕なのである。
「この宮殿は、宮殿に見せかけた地下壕です。壕を隠すために上に宮殿が建てられているのです。おそらくどんな攻撃にも、核爆弾にも耐えうるでしょう」と米軍の案内役Bob Tubbs軍曹は説明する。
米軍は2003年のバグダッド空爆の初日未明、最初にGBU-28バンカー・バスター爆弾2発(900キロ分)を、続いて6発以上のバンカー・バスターをこの宮殿に投下し、多大な損壊を与えた。
しかし、「スマート爆弾はドームは突き破ったものの、この偽の床に到達したところで爆発して終わりだった。見てください、ここが地下壕の構造物の一番表側の部分ですが、まったく無傷です。この壕は、箱が何重にも重なったような構造なのです」(Tubbs軍曹)。
宮殿を模したこの秘密の壕は、1980年代に建設が開始され、2000年に完成。しかし、2003年3月に占拠され、現在は米国人が警備する。
写真は故フセイン元大統領の宮殿のひとつで、「王座」に座る米軍兵士(2006年11月11日撮影)。(c)AFP/DAVID FURST