【5月13日 CGTN Japanese】5月12日はマグニチュード8.0の四川大地震が発生してちょうど16年目の日でした。当時を粘り強く生き抜いた子らが再び中国メディアの注目を集めています。

 当時11歳の女児だった牛鈺さんは、崩れ落ちた教室の石板の下に押し付けられて動けなくなりましたが、3日間を粘り強く生き残り、ついに救出されて命を取り留めました。しかし牛さんは永遠に右足を失うことになりました。一時は身体障害になったという現実を受け入れられなかった牛さんですが、その後10年をかけて障害を受け入れ、今年の上海ファッションウイークでは「鋼鉄の義足」の姿で出演を果たしました。さらに2023年には、四川省の第14期人民代表大会の代表に選ばれました。牛さんは「これまでの皆さんへの励ましは精神的なものだったが、今は現実的なことができるようになった。私は自分のような障害者を助けるための声を上げる」と述べました。

 地震発生時に14歳だった高瑩さんは、20時間以上もがれきの下に閉じ込められました。高さんは生き埋めになっていた時間が長かったため、足を切断せざるを得ませんでした。しかし、生まれつき楽天的な高さんは歩く練習に励み、入院していた病院で最初に自分で歩けるようになった児童になりました。回復後の高さんは学業を順調に終え、昨年に結婚しました。高さんの結婚がネットで発表されると、多くの人々が祝福しました。高さんは「私は生きて、太陽の光を浴びることができる。それだけでも幸せなことだ」と語りました。高さんはさらに「地震が私に最初にもたらしたものは傷の痛みで、失ったものは2度と戻らず、会いたい人には2度と会えない。けれど、私は同時に地震によって見聞を得た。社会と、人と人の間のぬくもりをこの身で感じることができた」と話しました。

 地震によって楊琳さんがいた校舎は崩壊しました。14歳だった楊さんは骨盤、あご、足など多くの個所を負傷しました。楊さんは浙江省人民病院に搬送されて治療を受けましたが、落ち込んでしまって人との交流を拒絶しました。そんな楊さんを助けたのは医療関係者でした。その時から、楊さんの心には「医療関係者になりたい」という夢が根を下ろしました。楊さんは、大学で看護学を学び、卒業後には自分を救った病院の浙江省人民病院に就職して、リハビリ科の看護師として勤務するようになりました。楊さんは「自分は(周囲の人による助けという)光に照らされたから、私は人を照らす一筋の光になりたい」と話しました。(c)CGTN Japanese/AFPBB News