【12月29日 AFP】香港で生まれ育ち、成功を掴むため80年代にアメリカに渡ったデザイナーのヴィヴィアン・タム(Vivienne Tam)。東洋と西洋のスタイルを融合させた彼女の作品は世界中に広がり、いまや国際的な人気を誇るデザイナーのひとりに成長した。

■香港でファッションを学ぶ

 ヴィヴィアンは、1957年に中国・広州(Guangzhou)で生まれた。3歳の時に、共産主義政権から逃れるため、両親とともに当時英国領だった香港に移住。その後22年間にわたり香港で生活し、地元の学校でファッションを学んだ。経済的な苦難もあったが、「とても幸せな時代でした」とヴィヴィアンは振り返る。

 デザイナーを志す中で、ヴィヴィアンは母親から多くの影響を受けた。「小さい頃、旧正月用の新しい洋服を買うお金が足りないことがありました。その時、母は『布の切れ端を買い、パッチワークの服を自分たちで作ればいいのでは』と思いついたのです。その経験は、私にインスピレーションを与え、今に繋がる自分らしいスタイルを確立するきっかけになりました。私たちの服は、世界にたったひとつのとてもユニークなものでした」とヴィヴィアン。

■ニューヨークで夢を掴むまで・・・

 デザイナーとしての更なる成功を夢見て、1981年に米国・ニューヨークに渡った。最初は、服を売り込むためバッグを抱えて街中を歩くこともあった。「中国人である私の才能を、米国で信じてもらうのはとても難しいことでした」とヴィヴィアン。

 当時を振り返り「米国にきた当時は、多くの人が『中国人デザイナーなど存在しない』と思い込んでいました。もちろん私の周りにも、欧米のブランドしか存在していませんでした。人々は、私が安物のTシャツや小物を売ろうとしていると思い込んでいたので、それを否定しなければいけませんでした」と語る。

■フォーブス・ランキング入り

 次第に情熱と才能が認められ、ニューヨークの高級デパート「ヘンリー・ベンデル(Henri Bendel)」が彼女の商品を販売するようになった。さらに、1990年には自らの名を冠したブランド「ヴィヴィアン タム」として初のコレクションを発表。東西の文化を融合したデザインは注目を集め、女優のジュリア・ロバーツ(Julia Roberts)や歌手のビヨンセ(Beyonce)、マドンナ(Madonna)など一流セレブリティたちに愛用された。「私は夢を持ってアメリカを訪れましたが。自分のブランドを設立したなんて、今でも信じられません」と語る。

 ヴィヴィアンは、米経済誌フォーブス(Forbes Magazine)が選ぶ「ビジネスで成功したチャイニーズ・アメリカントップ25」に選出された。また、過去の作品は、アンディー・ウォーホル・ミュージアム(Andy Warhol Museum)やメトロポリタン美術館(Metropolitan Museum of Art)、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(The Victoria and Albert Museum)に飾られた。

■中国への偏見を無くしたい

 世界各国に店舗を構えるヴィヴィアンは、「中国人に対する偏見を取り除き、素晴しい伝統的なデザインと職人技術を伝えていきたい」と 語る。「偏見や人の価値観を変えるのは、とても難しいこと。成し遂げるには時間がかかります。しかし、不可能ではありません。私は本当に中国人に対する偏見を変えたいと思っています。中国は単なる“製造メーカー”ではありません。中国で作られたものの素晴しさを証明しなくてはならないと実感しています」

 自身の原点を常に忘れないヴィヴィアンは、若いデザイナーに向けた支援活動にも積極的だ。「情熱を持てるものに取り組めば、なにかが実るはずです。人生をより良いものにしなければ」と語った。(c)AFP

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