【9月3日 MODE PRESS PLUS】1960年代後半、ウーマンリブ運動がはじまり、女性の社会進出が叫ばれ始めて随分時がたつ。最近では一国を率いる首相を女性が務める傍ら、女性飛行士が次々宇宙へ飛び立つ時代にまでなった。日本では、アベノミクスの3本目の矢として成長戦略の中核に「女性の活躍」がうたわれている。それほどに今、女性の生き方も一昔前とは違って多様化している。

 生きざまという観点から、過去にココ・シャネル以外にも波瀾万丈の人生の中でブランドを作り上げたファッションデザイナーがいる。古くから女性の社会参画が進んでいるフランスにはそういった女性が多く存在する。現在世界13か国、328店舗を展開している「アニエスベー(agnès b)」を率いるアニエス(本名:アニエス・トゥルブレ)もそんな女性の一人だ。2度の離婚を経験し、3人の父親の間に5人の子供、いまでは13人(近々14人目が誕生予定)の孫にも恵まれた彼女は、女性としてはもちろん、ビジネスパーソンとしても大きな成功を収めている。そんなアニエスの生き方のなかに、現代女性が明日を生き抜くヒントを探ってみたい。

■アニエスベー

 agnès b.の「b.」って何?

 ボーダーTシャツにスナップ付き(プレッション)カーディガン、トカゲマークに「b.」のロゴデザイン。ファッションに詳しくなくても「アニエスベー」の名前を一度は聞いたことがあるという人はきっと少なくはないだろう。今年72歳を迎えるアニエスは、フランス・ヴェルサイユ近郊の弁護士家庭に生まれた。教養の高い父と精神的に不安定だった母の間で、多感な時期を過ごす。裕福な環境で育つも、高校卒業後、家を飛び出すかたちで一人目の夫、クリスチャン・ブルゴワと17歳の時に結婚。それまで内気で物静かな少女の人生が、一人の男性の出現によって大きく変わる。

 12歳で出会った時から17歳で結婚するまでの間、当時を振り返ってアニエスは「まるで18世紀か19世紀のように、彼は私にとってパトロンのような、すべてに開眼させてくれる存在だった」と語る。そんなアニエスの人生において大きな影響を与えたブルゴワとの出会いが、その後立ち上げる「アニエスベー」の軸を築いたと言ってもいいだろう。ちなみに、ブランド名「アニエスベー」の「b.(ベー)」は、この一人目の夫であるブルゴワ(Bourgois)姓の「b」が由縁している。

 19歳で双子を出産するも1歳になる前に離婚。当時「誰にも頼りたくなかった」というアニエスは二人の息子を抱えて、実際のところは彷徨っていたといったほうが正しいかもしれない。ただ、明日食べるパンすらままならない生活のなかでも、彼女のクリエイティブな精神は絶えることがなかった。ある日訪れた夕食会の席でのこと。その日、アニエスはフリーマーケットで買った古着のアーミージャケットにフラワープリントのシャツ、自分で短くカットしたスカートにカウボーイブーツという姿で出席した。そのスタイルを一目見て気に入ったエルのエディターが仕事のチャンスをくれたのだ。

 研修期間を経て、ジュニアファッションエディターとして雇われたアニエスは、その傍ら、フリーのデザイナーとして多くのブランドで仕事をこなした。とにかく必死に、子供たちを食べさせていくため働いたが、生活が楽になることはなかった。その貧困を極めた生活は、当時女性が一人で乳飲み子を抱えて社会に出ることの厳しさを表しているといえるだろう。

■アニエスベーのはじまり

 日々の生活で精一杯のなか、様々な仕事をこなしながら、当然のように矛盾や葛藤と直面するアニエスは、1973年、意を決して独自のブランドを立ち上げる。これがその後の人生において、大きな変化をもたらす。1975年、アニエス曰く「魂の伴侶、そして親友で分身」のパートナー、ジャン・ルネとブランド初のショップをパリ・ジュール通りにオープンする。もともと精肉店だった店内をリフォームしたショップは、退廃的な要素とアヴァンギャルドさが最先端のスタイルと評され、ファッションの都パリでも当時話題となった。このショップが、アニエスベーのその後のストーリーを語る上で欠かせない存在となる。

■アートと音楽

 オフィス、アトリエ、表現の場として、さらには出会いの場として活気にあふれる同店は、常にアートに囲まれている。ここでさまざまな人と伝説的な出会いをし、ブランドを代表するアイテムを数多く世に送り出してきた。アニエスと交流のあったアーティストの一人、アンディ・ウォーホルもこの店がお気に入りだった。その証として後日、ウォーホルは自分の作品を店で飾って欲しいとわざわざニューヨークから贈ってきたという逸話もある。ほかにもアニエスと才能あふれる芸術家や音楽家たちとの交流は数しれず、有名無名に関わらず、積極的に彼らをサポートしてきた。

 1984年には「ギャラリー デュ ジュール」の経営を始め、注目しているアーティストの紹介を開始した。アーティストを起用したコラボレーションアイテムなども多数発表しており、「アートと音楽が、人生において喜びと癒しを与えてくれた」と語っているように、「アニエスベー」にとってアートは切っても切れない存在なのだ。またアーティストのサポートだけに留まらず、自らブランドの広告写真を撮り、ついには映画製作会社を立ち上げ、映画作品の監督をすることになる。

■そして旅・・・

 アニエスのその並々ならぬ旺盛な好奇心は、年を重ねるごとに増し、いまもなお世界中を飛び回り、いろいろな国や文化、そしてアートと触れ合うことでインスピレーションを得ている。世界を旅するなかで、仕事を通じてさまざまなものや人、時には目を覆いたくなるような世界の現状を目にする。そんな現実を目の前に、心を強く突き動かされたアニエスは、単にファッションやアートという断片的なものではなく、社会を巻き込んだプロジェクトとして、人道的活動に取り組みはじめた。「心のレストラン」「国境なきハンディキャップ」「アクト・アップ」「AIDES」「アベ・ピエール財団」「世界の医療団」「国境なき医師団」など数多くの団体への多額の寄付はもちろんのこと、世界でいま何が起こっているのか、そして一連の活動に対して自分たちにできることは何なのかを、ブランドを通じて多くの人々に語りかけている。

■ボヤージュ(旅)をカバンに詰め込んで!

 アニエスベーを語る上で最も大切なキーワードのひとつは先述した通り「旅」であることは間違いない。現在、女性服・男性服・子供服のほかに、コスメや腕時計、サングラス、バッグなど実に幅広いラインアップを展開しているが、その中で最も旅の要素を落とし込んでいるのがバッグラインを取り扱う「アニエスベー ボヤージュ(agnès b VOYAGE)」だろう。

 1993年にスタートしたボヤージュも今年で20周年を迎える。これを記念して今回、オンラインゲームを特設サイトでスタートする。もちろん、テーマは旅。パリの街を旅するなかで、写真の間違いを探すというもの。過去に爆発的な人気を博したb.マークのプレートをつかったバッグが、モダンにアップデートされパリ・オペラ座の名前にちなみ「オペラ」と名づけられて復刻発売される。

 まずはエントリーページでゲームをクリアしたら、FacebookまたはTwitterアカウントでログインし1stステージへ、続いて2ndステージへと進むと、スペシャルステージに進むためのキーを獲得できる。ファイナルステージをクリアした優勝者にはエールフランス航空パリ往復エアチケットがプレゼントされる他、ランキング上位者には豪華な景品も。

■新たな世界を切り開くのは自分次第

 自分の選んだ道を信じること、そして信じたものに対しまっすぐに立ち向かうアニエスの姿勢は、彼女のブランド同様、シンプルで揺るぎない。そんな彼女の生き方は、工夫と努力次第で新たな世界を開くことが可能なのだという一つの証明であり、現代の女性にとっても参考になる事例といっていいだろう。今回のボヤージュ20周年を記念したキャンペーンも、アニエスの新たな魅力を体感できるまたとない機会なので、興味のある人はぜひチェックしてみて。(c)MODE PRESS

<インフォメーション>
アニエスベー公式サイト<外部サイト>
agnès b VOYAGEキャンペーン特設サイト<外部サイト>
動画:アニエスによるキャンペーンビジュアルの撮影風景<外部サイト>