【6月5日 MODE PRESS】「一部の妥協も許さない、完璧な革製品」をコンセプトにフランス人デザイナーのフランソワ・ルッソ(Francois Russo)が手がける「メゾン タクヤ(MAISON TAKUYA)」は、アジアとヨーロッパの優れた技術を融合させた屈指の高級皮革製品を展開するブランドだ。厳選された天然素材を用い、手作業で1つ1つ仕上げられたアイテムは、NY・バーグドルフグッドマン(Bergdorf Goodman)やパリ・コレット(colette)、日本では阪急メンズ館や伊勢丹メンズ館でも取り扱われており、今世界的に高い評価を得ている。

■インタビュー:フランソワ・ルッソ
(前編からつづき)

-さまざまな仕事を経て、高級品市場に対して当時感じていたことは?

F:非常に素晴らしい人や企業と仕事をしていくなかで、昨年、僕にとってとても大きな存在のかたが亡くなりました。エルメス(Hermes)一族のレナ・デュマさんです。先代のエルメスの社長の奥様なのですが、彼女はもともとインテリアデザイナーでした。

 そもそも僕がインテリアのデザインをするきっかけになったのが、フランスで老舗洋菓子店「ダロワイヨ(DALLOYAU)」のお仕事でした。実はこれはレナさんとの共同プロジェクトだったのです。そういう方々と本当にいい時期に情熱をもってラグジュアリーな世界を作ることに当時没頭していました。

 ただ、やはり高級品市場がビジネスとして大きくなればなるほど、商品に対する比重が薄れてきていると感じるようになりました。そうではなく、逆にどんな手法をするか、どんなお店を出店するか、そのお店の規模がやれ世界一だ、やれこっちの方が一番だった、やれ新しいなどという話題を掲げて、メゾンやデザイナーが現れたと。商品そのもので勝負することを後回しにして、それ以外の部分にばかりに目がいくような戦略による高級ブランド良いのだろうかと・・・疑問を持ち始めました。

 中でも特に皮革業界の商品に対するスタンスがどんどん変わっていることに、私は失望を感じていました。ラグジュアリー全般の中でも、例えば特に時計はオーデマ ピケ(Audemars Piguet)とかパテック フィリップ(Patek Philippe)のように昔ながらの職人でしか出来ない技をきちっと踏襲して、それをポリシーとして継続している企業も何社か残っていますが、それが革となるとほとんどすべてがデザインと作りそのものは決まり切った枠にはまってしまい、工業的な方向にいってしまっている。これはどうしたものかと・・・。自分自身が無類の革好きということもあって、どんどん自分の満足のいく商品が見つからない状態になっているという変化にとても心配になってしまったのです。

-そこからどういう経緯でブランドを立ち上げることになったのですか?

F:高級商材の進化、特に工業化に特化した製品には2タイプあると僕は思っています。それは、商品の質の向上により大きく貢献するものと、商品の付加価値に繋がらないもの。これは非常に重要なことです。

 工業化が進んだ“ハイテク”をラグジュアリーブランドにうまく取り入れるという点では、ジャック・エリュ(Jacques Helleu)さんから学んだものは大きかったですね。やはり彼はすべてを知り尽くしていたからこそ、「J12」のようにセラミックを時計に取り入れたり、高いメカニズムに落とし込んだりすることが出来たのだと思います。ただその一方で機械で作ると、手仕事の味わいが全く損なわれてしまうというものもあると思いますし、その最たるものが革だと思うのです。

 じゃあ、何故商品が良くなる方向になるはずなのに、ハンドメイドというものの本当の良さが知られることなく工業化が進んでいくのかって考えたときに、コストの問題なんだと気がつきました。人を育てること、育てるのにかかる時間、機械ではなく人が作ることに費やす労力。それらを考えただけでも、膨大なコストがかかります。

 その問題を考えたときに、ちょうど変革期に入ったところで自分でやってみたらどうなるだろうと。ものを作るということにおいては、特にハイジュエリー、宝石類の工房がどんどんプラスヴァンドームのアトリエから香港あるいはバンコクなどにモノ作りの場を移しているという事実が如実にあったもので、革も同じ様に出来るのではないかと考えました。出来るのではないかというより、そういう風に全てが海外で作られ、最後のタグ付けだけがヨーロッパで行われることで、フランス産と呼ぶというのはラグジュアリーとは言わないのではないかと。

 ラグジュアリーというのはやはり市場としても国としてもどんどん発展を遂げていく中でより豊かに成長していくものでありますから、アジアで作ってアジアから発信するラグジュアリーなブランドが生まれてしかるべき流れが来ている、今がその流れじゃないかなと思ったわけです。

 特にヨーロッパのラグジュアリーブランドは、100年以上の歴史があるメゾンが多いと思うのですが、そういったブランドがルーツとして掲げているのが1850年代から1860年代というところが多いと思います。まさしく、産業革命が勃発して、人々の生活が変わり始めた時代なので、その時期と今のヨーロッパを比べたら真逆ですよね。ヨーロッパは今衰退の一途をたどる状態で、ヨーロッパの生活も国の状態も非常に苦しい。

 そういった中で、やはりなにか新しいことをもっと発展させていこうと考えたときに、アジアという地が自分の気持ちの中で腑に落ちたというわけです。

-アジア、とりわけ日本との縁はいつ頃からあったのですか?

F:アジアということを考えたときに、僕にとってやはり日本の影響というのは非常に大きかったですね。日本には素晴らしいブランドが本当にたくさんあって、「コム デ ギャルソン(Comme des Garcons)」や「イッセイ ミヤケ(ISSEY MIYAKE)」などを筆頭に名前を挙げればキリがないくらいです。しかしそれらは、“ファッションブランド”であって“ラグジュアリーブランド”ではないんですよね。「コム デ ギャルソン」や「イッセイ ミヤケ」は例えるなら、モダンなシャネル(CHANEL)。“ファッション”を作るために生まれたブランドで、“ラグジュアリー”であるエルメスなどとは一線を画していると思うのです。

 その“ラグジュアリー”というものを考えたときに、日本が僕に与えた大きな影響のひとつが、実は食べ物なんです。いまから20年ほど前、パリでは今ほどに和食というものが知られていなかったときに、「衣川」がオープンしまして、父親がよく日本に出張していた関係もあって12歳くらいだったと思うのですが、連れて行ってくれました。そこで和食を食べてはじめて、“なんだ、このシンプルでミニマムなのに高級感漂う食べ物は!”と衝撃を受けました。

 ヨーロッパ特にフランスの場合、カトリック文化に代表されるかもしれませんが、華美で威圧感があって、さあこれだけの大きなもので皆さんを救いましょう!という流れが強いじゃないですか。ではなくて、物事の価値の核心を削いでいってこれが価値観だ!という部分の表現に僕は衝撃を受けたのです。

 食べ物で日本とフランスを比較すると両者の違いが凄く際立つと思います。それぞれのドアを開いてみるとまったく別の世界がある。フランス料理というのは複合的なお料理と言うか、どんどん複雑にちょっとどうなっていくか分からないようなソースをかけ、それが何とか風ですと足し算して作っていくお料理だと思うのですが、日本のお料理はまず「less is beautiful」と言いますか・・・最高の食材を使ってそこになるべくなにかを加えないことを信条にしているところがあると思います。

 それに加えて、パーフェクトに作るということではなく、どこか不完全なバランスで、そこがその味になると言う部分を残したそういう世界ではないかと自分は感じているんですね。その点、ヨーロッパ人というのはミニマリズムというもの、引き算が下手ですね。

 僕にとってはそのミニマムな削ぎ落とした価値観で勝負が出来るラグジュアリーはすごく価値を持っている。それが「メゾン・タクヤ」のブランドの底流に流れているものなのです。ですから、このブランド名も日本とフランスの要素を取り入れたかった。このブランドを新しいもっと広い意味でのアジア、広い真っ白な革という業界がなかったところでしっかりと花咲かせていきたいと思っています。

-「メゾン・タクヤ」が目指す先とは?

F:もちろんそういう気持ちでスタートしているのですが、運命というのは最後まで分からないもので、この考え方があったからといって成功に結びつくかは分からない。それがどうなるかわからないところが人生の醍醐味です。自分としてはそこで一歩踏み出すことで、その踏み出した一歩を見た皆さんが何かを感じてくださって、それを自分自身でも確かめながら次のステップを踏み、そこを繰り返していく中で何か新しいラグジュアリーが本当にアジアからも出てくる、ということを肌で感じて欲しい。

 最初はほんの小さな発想であっても、やはり感情が人を高めていくという部分はすごく大きいと思います。それを受け止めて、その感情に同調していった人たちが集まってくると、一人では比べ物にならないくらい大きなパワーになりますしね。ですから、それを実現するにあたってまず、自分の生産現場、工場を作りました。その工場で自分のスタッフに対しては、なにをしなければいけないのかではなく、なぜそういう物づくりをしなければならないのか、それをみんなにしっかり理解してもらうことに時間と労力を費やしました。

 なぜそうしなければいけないのか、ということがちゃんとわかっていて、それを担当する人と、その人の周りの人たちが同じような角度から、その前後の仕事を流れとしてやっていくということを理解出来たら、1つの完成された形に作っていくことが出来ると。それはある意味オーケストラと一緒で、各パートがただ上手に演奏できるというだけではなくて、その楽器と演奏者たちがたくさん集まって、一つの感情を持つ音楽を奏でていく、のと同じプロセスです。

 そうして出来上がった商品を、今度は一般の市場に出すことで感情のこもった商品を受け止めてくださるお客様も出てきて、それが広がっていく流れが出来たらいいなと。

-色々な思いを語っていただきましたが、こと日本の市場について今何か感じていることはありますか?

F:日本は、ラグジュアリーの消費を常にリードしてきた国ですし、ここ日本でラグジュアリーブームがあり、それがパワーとなり世界的な産業としてどんどん広がっていった、という意味では今も大きなパワーを持ち続けている国だと思います。逆に言うと日本の企業と消費者はそういうもの全てをすでに経験しているわけで、見ているだけではなくて、それを自分で買い、作ってきて、その結果、そのお客様たちがブランドやラグジュアリーに対して何を感じているかが、そろそろ変化しても良い流れに来ているとも思います。

 日本の消費者たちはそんな大変な状態のなか生活を続けてきていると思うんです。その変化の過渡期というのは確かに消費者の動きの中に現れてきていて、消費者がその商品に対してどんな価値観を感じているのかと言うのを見直す時期に来ていると思います。

-ラグジュアリーの行き着くところはどこなんでしょうか?

F:ヨーロッパの状況は非常に厳しい中にあって、ヨーロッパ全体が非常に疲弊しています。あちこちで問題だらけで・・・。こんなに豊かな美しい遺産をたくさん積み重ねた地域でありながら、今本当に大きな財産を残されて、ぽんと残された孤児が、私たちこれを残されてどうしたらいいの?と途方にくれているような状態です。

 先日、自分が体験した一例ですが、僕はパーソナルなお手紙を書く時に愛用していた手製のレターセットがありました。かなり分厚い手製の紙で、エッジのところに金メッキを施してあるのですが、いままではパリで有名な古い文房具屋さんに買いに行っていました。しかし、先日そのお店に同じ物を買いに行ったところ、その紙を仕上げる技術を持った職人さんが去年亡くなってしまったのでこの紙をつくる人が居なくなってしまったといわれました。

-メゾン・タクヤでは「伝統の継承と革新」を実践していっているということですね?

F:革に関しても、「産業が死ぬ、死なない」ということが言われています。それを支えてきた一人ひとりの職人さんたちが寿命を全うしてどんどん亡くなってしまって、今までその人がいなくなったら後、その人たちがやってきた技術を受け継ぐ人が居ない。そういうことが受け継がれてなくて、全く亡くなるのだったら、亡くなる前に、それを受け継ぐ人がいる受け皿を作ってきちんと残して、今の時代に合ったものとして新しく繋いでいくべきだと思うのです。そうでなければ、気がついたときには本当になくなってしまうという、非常に危惧すべき状況にいま私たちは生きているのです。

 コストと利益率だけを計算して、産業として成り立たせるものじゃないと思いますよ。お金がかかってもここはこういう風にしなければいけない、というものがたくさんあって、その中で私たちがこだわっているものの1つに、手縫いという技術があります。ミシン縫いが悪いといっているわけではないのですが、比べたときに強さはもちろん、長く使えるということや、美しさ、全てにおいてやはり手縫いの方が勝るのです。そうしたら手縫いでやらないと、という風になりますよね。

 リーマンショック後に、拠点をパリからタイへ移しましたが、最初は5人のスタッフとテーブルを囲んで物作りをはじめました。本物のラグジュアリーには、大げさなものはなにもいらなくて、必要最低限の道具と職人さえいればいいのです。

 この5年で工房のスタッフは150人(モノ作りスタッフ)にまで増えました。というのも、とあるご縁がありましてオーディマ ピケのオーナーファミリーの皆さんが私の価値観を理解し、株主になってくださいました。その出資を得たことで、このブランドが果たすべきミッションと目指す方向へ向かうべく、環境が整いました。「メゾン・タクヤ」を通して、産業が生まれ、文化が育ち、人も育つ。

 果てしない夢のようにも聞こえるかも知れませんが、大げさなことではなく、コツコツとしっかり物を作り続けることで、アジアからラグジュアリーブランドが生まれると言うことを証明できればと思っています。(終)【岩田奈那】(c)MODE PRESS