【4月23日 MODE PRESS WATCH】現代アーティストの村上隆(Takashi Murakami)が初めてメガホンを取った映画『めめめのくらげ』がいよいよ26日から公開する。公開を目の前に控えたところで、“映画監督・村上隆”がインタビューに答えた。

Q:まず初めに村上さん、なぜいま映画を撮ろうと思ったんですか?

 とにかく映画を撮りたい! という。そういう世代なんです。人生の核心部分に特撮とアニメが居座っていて、幼少時から好きだった特撮もので下地ができて、青年になった時点で、劇場版の「銀河鉄道 999」とTVアニメの「未来少年コナン」の鑑賞体験が決定打となって、将来アニメーションや子供映画を作る人になる! と思い込んでたのですが、いざ、絵を描く段になって、挫折してしまい、こうして、現代美術作家になってしまって。

 それでもいつもチャンスをうかがっては、映像作品を作り続けてきたのですが、長編にまとまったのは今作が初めてで、才能やら運やらが必要なジャンルで自分にはそういうのが無いけど、諦めないでとにかくあらゆるチャンスに映像を造ろうとずーっとやり続けていたんです。

 大学とかの志望動機もアニメ絵が描けなかったので、絵の勉強できるところというものだったし。大学入ったら、速攻アニメ研究会に入って、アニメ作ったり、当時はビデオ出たてだったんで上映会をやったり、宮崎駿さんを学園祭にお呼びしたりとアニメやサイファイ三昧の生活に浸っていました。

 しかし、その頃見た庵野秀明さんの所属したゼネラルプロダクツの「DAICONⅣ」とかをみて、挫折。大友克洋さんの「AKIRA」や、宮崎さんのナウシカを観て、これまた挫折。天才にのみ与えられたチャンスなんだと何度も何度も諦めたのですが、50歳を前にして、諦めきれずにまだ撮ってて、で、やっとこうして日の目を見そうだなぁ~と。

 でも、前に仕事でご一緒した、アニメ監督の細田守さんがおっしゃってましたが、「映画の神様はいつ何時何をしでかすかわからない」とおっしゃってて、その言葉を上映が終わるまで忘れないようにしようと思ってます。今はとにかく、完成してほしいです。(2月13日の時点では全CGカット1000カットほどの中で、400カットほどが未完成。音楽も今一度仕切り直し。効果音も手付かずの状態です)

Q:今回の作品のテーマは何でしょうか?

 子どもたちに、この世のリアリティに直面する前のトレーニングを積んでもらいたい。この世のドグマと逃げずに対峙可能な人間になってほしいから、そういうリアルに突っ込める動機付けを与えられる作品にしたい、と思っています。

 僕の体験においては、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「悪魔くん」「河童の三平」等、といった作品たちは、そういう訓戒に満ちた世界観を表現していて、そのメッセージを幼少時に受け取りました。「戦争に負けて、なんとも暗い世の中に生まれてきたけど、まぁ、正直に僕ら子供にこの世の『ドグマ』を語ってくれる大人(製作者や原作者のこと)もいるんだから、そういう正直な人について行き、世界を理解しよう」そう感じたんです。おもちゃ売るとか、夢と希望を提供するとか、じゃなくて、今のドロドロを共有する。今の日本、本当にどん底だし、政治も何もかも、大人、全くダメじゃないですか。このストーリーに出てくる大人、全員何もできない人々なんです。だから子供が自分で考え、動くしか無いんです。それが日本の今のリアルって思ってます。そういう部分も寓話にもりこみ、「君たちが頑張らんと問題解決しないんだよ!」という。もう、闇雲な 元気というか。「暗闇の世界に闇雲に生きろ!」って、テーマはそういうことでしょうか。

Q:震災前に考えていたストーリーは震災によって大きく変わってしまったのですよね

 そうですね、実は『めめめのくらげ』は今から12、3年前に当初企画したときは、群馬県の奥地にブラジル人が出稼ぎでいっぱい働いている集落があるという話を聞いて、思いついたストーリーなんです。日本社会内の隠された移民という異文化の衝突と融和を描こうと思ったんです。そこには日本生まれのブラジル人少女がいて、都会で事業に失敗した親子が田舎に来て、その子、男の子が少女と出会い、そこに妖怪が登場し、文化の衝突に手を差し伸べる、という話でした。日本社会内に衝突が見えなかったんで、そういう部分に裂け目を探しだして、お話のリアリティを造ろうとしたんです。

 でも、震災で戦後日本社会のドグマが全部表面化した。同じ日本人なのに超弩級の異文化の中に生きているというリアルが噴出した。全く違う価値観の中でもがいてるという現実を観て、日本人同士を繋げるにも、トリックスターが必要なんだ、と設定にリアリティを感じられたんです。差別やヒエラルキー、宗教や理念理想の落差を持って、人々はそれぞれ生き、日本の中でもコンフリクトに見舞われている。それが震災で一気に一方向に向かいそうな気分ゆえ、ますますその境界線がハッキリしてきたという事を、子どもたちと共有し、子どもたち自身こそがそういう境界を乗り越えねばならないんだ、というメッセージが本当に必要になっているんです。

Q:本作は震災がなければ生まれなかった作品ということですか?

 そうです。1つのテーマ、復興と平和が日本の心棒に出来たので、そのテーマとの絡みが容易になったといえます。10年間、膠着状態だったお話が動き出したのは、震災であらわになった日本社会から見る、この世の亀裂があらわになったからだと思います。

Q:『めめめのくらげ』は単純なファンタジーではないですね、観客にはどういう思いで観てほしいですか?

 ぼくの想定オーディエンスのひとつとして考えているのが、小学3年生くらいなんです。3年生くらいまでのこどもたちが、この作品を観て、多分数ヶ月ぐらいで忘れてしまうかもしれないですけど、半分バカにしながらも、「ふれんど」の存在に少しだけでもリアルを感じてもらって、それが何を意味したかを将来考えてみて欲しいんです。ぼくらが 「ウルトラマン」を観たときのように、ウルトラマン、いるとは思ってなかったし、信じていないんだけれども、ウルトラマン、ゲゲゲの鬼太郎の発表された当時の社会問題、作品内に封入されてますよね。それが大事だった。そこを今、やりたいんです。

 そして、それらの作品の持つ熱量に当てられて・・・つまり純粋な芸術鑑賞体験だったわけなんですよね。そういう人間のなんでこんなもの作んないといけないのか、とか観る方も、なんでこんなもん、観るの? とか、そういう人間の持つ、芸術鑑賞欲との出会いと、リアリティを感じて欲しいのです。

Q:この作品はなにかモデルになったものはあったのでしょうか?

 今まで観てきたあれこれのサイファイなオタクな作品たちですが、特に「ウルトラマン」。そして東映の作った実写テレビシリーズの「悪魔くん」「河童の三平」とかその辺を基盤にしています。悪魔くんの魔法陣、「めめめ」にも出てきます。『エロエムエッサイム』という呪文が、子供の頃、ちょー怖くって、でもそこにリアルを感じたんですよね。で、なんであれだけ興奮して観ていたのかといういと、ダークサイドみたいなものがそれだけ世の中にあるということを自分自身がリマインドして欲しかった、特に自分は貧しい家庭で育って周りが本当に板橋区の下町の工場街で、カーボン製造工場とかで働いてる労務者が、母親にいやらしいいたずらを仕掛けてきたりとか、なんかグダグダな環境への憤りがあったんです。それと当時はまだ第二次世界大戦の傷跡も残っていたし、ベトナム戦争も、東西の冷戦もあったし、戦争って何? とか。国が戦争で負けるってどういうこと? とか。そういう疑問があったところへ、子供向けファンタジーTVが答えをくれたような気がしたんです。

Q:クリーチャーがいっぱい出ますが、そのへんは村上さんお得意の世界ですね

 キャラクターは、160体ほど考案し、CGに置き換えました。それと、15年ほど前に等身大の美少女フィギュアを造るプロジェクトの時に作った、KO2ちゃんと言うキャラクターも登場します。そもそも「目」が僕のキャラクターの代表選手ですし、キャラクター達、沢山出てきます。

Q:代表作であるフラワーの場合はアートの手法でそれを打ち出していますが、映像で打ち出すものとの違いはありますか?

 絵画作品のフラワーは表面的に笑顔の顔が並んでますが、ハッピーを謳ってる訳じゃない。罠なんです。ハッピーとおもって、絵の中に入るとドロドロしてるというか。そして絵画作品ですと、その作品の前に立ち続けられもするし、さっと通り過ぎることも出来る。映像は絵画と違って時間を提供する部分が違うので、もし目的があったら時間軸とともに目的地に誘わねばなりません。そこが、絵画や彫刻と全く違う。映画はたとえ1秒でも観客を誘導している。理屈ではわかっていましたが、この差がコレほど大きいものかと現在は途方にくれています。

Q:アーティストの仕事と、映画監督の仕事との違い、そして映画監督の難しさってなんでしょうか?

 ここ数年、ぼくのアート作品の製作工房は絵画、彫刻、短編アニメーション制作などで毎日200人近くの人々と仕事をし、指示出しをし続けているのですが、そういう経験が少しは役に立ったと思っています。映画の座組ってミニマムで百数十人。瞬時にジャッジしてあれこれ伝えねばならない。ぽつんと1人で作品制作をしていたら、映画制作の現場には全く馴染めなかったと思います。でも、大きく違うのは、映画産業の中に生きている人々にも強固なルールと文法があって、そこを理解した上でのジャッジでないと、現場が動けなくなるということでしょうか。僕が今回体験したのは、実写撮影と実写のVFX系CG業界ですが、今までの文法はあまり通用せず、1つ1つ怒られながら学ばねばならなかったことです。

Q:アーティストとしての作品作りの方法が、映画の現場でも生かされているということですか?

 悪い意味でそうかもしれませんね。とにかく、造ってもらってから、「ダメダメダメダメ・・・」って言い続けて残ったものをもう一回つなぎ合わせて、足りなかったらもう1度撮り直すとか。映画って通常、そういう作り方していないので、設計図を綺麗に引いて、その図面にそって、どのように美しい段取りで効率よく撮ってゆくかがとにかく大事。なので、僕の素人兵法に現場は辛かったと思います。申し訳なかったと思いつつ、でも、そのやり方でしか僕は映画を作れなかった、とも思うのです。完全な未経験なジャンルなので。

Q:めめめはパート2も撮影されていると言いますが、この先の展開は?

 これテレビシリーズにしたいです。テレビシリーズにして、何クールでもずーっと繰り返しやりたいです。「悪魔くん」「ゲゲゲの鬼太郎」って繰り返し繰り返しリニューアルされても、コンテンツとしてちっとも古びてないじゃないですか。一種のアニミズム、自然の中に得体の知れないものがいて、それをリスペクトしないと自分がやられてしまうという“気がつき”みたいなものと妖怪って、子供にとってセットになっていると思うんです。『めめめのくらげ』シリーズも、そういう作品にしたいんです。最初は受けなくても、10年は作り続けようと。

 ぼくが絵画でいちばん最初にDOB君というキャラクター絵画を作ったときも、10年くらいみんなに批判されたり無視されたりしましたが、いまはぼくの代表作品となっているように『めめめのくらげ』が次の10年のぼくを作って行く一つの代表作にしてゆきたいです。とにかく取り憑かれたようにキャラクター、沢山作れちゃったし。自分の中での変化を感じています。

Q:村上さんすっかり映画の魔力にとりつかれましたね

 とりつかれたのは、4歳から18歳の間で、今はその時の亡霊と今一度出会う決意をしたという感じなんです。現代美術って大人の文化ですから。一旦大人になって、もういっかい幼児化するのに戻ってきたという。

 映画の文法は本当に複雑で、全然わかってませんが、この歳で、改めて、新ジャンルの文法を現場で学べるのは本当にラッキーだと思います。 声優さんが入ったり効果音が入ったり、編集で意味が変わってきたりといった、まるで映画に命が吹き込まれたかのような瞬間は、本当に感動的で、制作現場にいる幸せを感じています。(完)【インタビュアー:額田久徳】

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<インフォメーション>
『めめめのくらげ』 4月26日(金)TOHOシネマズ 六本木ヒルズ他 全国順次ロードショー
公式サイト:『めめめのくらげ』