【11月29日 marie claire style】ヴィヴィアン・ゴールドマンの両親はホロコーストから逃れるために家族と共にドイツを脱し、ロンドンへと辿り着いた。ロンドンで生まれた彼女は、ミュージシャンだった父や、大学時代に友人たちとフラットシェアするために住んだウエスト・ロンドンのラドブローク・グローブに根付いていたレゲエ、アフリカン・ミュージックに影響され、自然と音楽ジャーナリストを目指すようになった。 

 ヴィヴィアンは1970年に創刊された音楽週刊誌『Sounds』に寄稿する傍ら、アトランティック・レコードやアイランド・レコードといったメジャーレーベルでプロモーションの仕事を獲得し、そこでレゲエ界のレジェンド、ボブ・マーリーと出会う。ボブと仕事をするようになったことは、ヴィヴィアンがレゲエやワールドミュージックへの知識や見解をより一層深める絶好の機会となった。彼女はその経験やジャーナリストとしての才能を買われ、イギリスのテレビ局・チャンネル4が制作するワールドミュージックのドキュメンタリー番組「Big World Café」のプロデューサーに抜擢される。そんな彼女の周りにはスリッツやレインコーツなど、男性主導のパンクシーンに一石を投じた女性ミュージシャンやアーティストが集まり、後にポスト・パンクと呼ばれるシーンが徐々に形成されていった。

 順調にキャリアを重ね、『NME』や『Melody Maker』などのメジャーな音楽誌のジャーナリストとして不動の地位を築いたヴィヴィアンは、書くことだけでなく、音楽を作ることにも関心を引かれていった。イギリス・ブリストルのダブ・ミュージックを牽引したエイドリアン・シャーウッドやセックス・ピストルズ、PILのジョン・ライドン、さらに彼女を慕っていたミュージシャンたちが作品のプロデューサーとして名乗り出るなど、周りからの厚いサポートもあり、彼女の潜在的なセンスは引き出され、後にライオット・ガールのムーブメントに影響を与えるサウンドが生み落とされた。

 パンク全盛期から40年近くが経ち、ヴィヴィアンは「パンク・プロフェッサー」としてニューヨーク大学で教鞭をとりながら、数少ない女性ジャーナリストとして音楽が社会にどのような影響を与えてきたのか、自らの言葉で発信し続けている。彼女は"Do It Yourself"精神を忘れず、生き字引として常に前進し続けることだろう。

■プロフィール
多屋澄礼(Sumire Taya)
1985年、東京都出身。インディ・ポップという音楽ジャンルを軸にイラストレーター、ライター、DJとして雑誌や本などで執筆を手がける。女性DJグループ、Twee Grrrls Club主宰。レーベル&ショップ、Violet And Claireのオーナーとして、女性作家や海外の雑貨などをセレクト。2012年、Twee Grrrls Clubの著書として『インディ・ポップ・レッスン』を刊行。その後、アレクサ・チャン著『IT』の日本語版の翻訳を手がけ、15年には女性ミュージシャンのライフストーリーを綴った『フィメール・コンプレックス』、京都のガイドブックとして『New Kyoto京都おしゃれローカルガイド』を刊行。

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(c)marie claire style/selection, text, illustration: Sumire Taya