【11月6日 marie claire style】デヴィッド・リンチのTVドラマ「ツイン・ピークス」の25年ぶりの続編『ツイン・ピークス:リミテッド・イベント・シリーズ』を一気に観た。前作同様リンチらしいダークサイドが描写され、色濃いキャラクターが多く登場し、謎めいた多くのエピソードが説明もないまま並行して描かれていく。その不可解な展開はまさにリンチ作品の真骨頂のぶっとんだものだった。

 謎は謎のまま解けないのがデヴィッド・リンチ映画の醍醐味である。私は個人的にはリンチの映画はストーリーラインを追いながら観ないようにしている。普通の映画は製作者によってこういう気持ちになってほしいと伝わるように作られているものだが、それが押し付けすぎかもしれないと思えるくらいにリンチの映画は観客に想像する自由を与えてくれる。それほど開かれている映画なのだ。とにかく脈絡なく進む物語が魅力である。それについていけない観客もいるだろうが、先の見えない展開に私は惹きつけられるのだ。

『マルホランド・ドライブ』は、事故を起こした謎の女がハリウッドで成功を夢見る女と出会い失われた記憶を取り戻そうとする前半。同じ女優が演じてはいるが名前も立場もまったく変わったハリウッドの光と影に翻弄される姿を描く後半。一見異なる2つのストーリーが繫がって虚実が入り混じり、ひとつの物語になってねじれてゆくという難解な映画だった。

『ロスト・ハイウェイ』では、妻を殺した主人公が殺した覚えのないまま牢屋に入れられる。しかし、看守が見に行くと別人の若者に変わっていて、その若者は釈放され、そのまま若者の物語に変わる。その若者の末路は、映画の冒頭に繫がっていくが、辻褄の合わないねじれた時間が描かれる。「ツイン・ピークス」含め、どの作品の中にも、ねじれたメビウスの輪が生まれる。

 リンチの映画を観ているとこんなことを思う。例えば、まったく異なる2つの映画を編集し繫げたら、観客は突然展開が変わってしまって戸惑いながらも、それまで観たストーリーとそこから続いていくストーリーの関連性を見出しながら本筋を理解しようとする。人間が映画に抱く既成概念とはそういうものだ。しかし、リンチの映画では物事は決して時系列通りに描かれているわけではなく、それが現実なのかどうかもわからないので余計に混乱させられることになる。そうやって既成概念を逆手にとってデヴィッド・リンチは新しい映画が生まれる可能性を披露しているのだ。

 通常の映画はモンタージュ(編集)で、観客を混乱させないように登場人物たちの関係性を簡潔に見せ、状況を観客にわかるように表現するものだ。場面と場面を繫ぎ積み上げることでそこにストーリーラインを表出させる。しかし、リンチは現在と過去、現実と夢などでその脈絡を破壊し、誰も想像のつかない世界に連れていく。独特な感覚で映画が紡がれていく。正解なんてどうでもいい境地にこそ映画の可能性があると言わんばかりに、自由な憶測や解釈を観客から引き出す。そもそも映画はどんなふうに作られ、どんなものなのかを改めて考えさせられるのだ。

 私はリンチの映画の全体像を把握することよりも、すべては幻ではないかと思わせられるような壮大な世界観や甘美な情感に浸ってほしいと思う。『ツイン・ピークス:リミテッド・イベント・シリーズ』の鑑賞後も大いなる旅の終わりのような切なさを感じ、後ろ髪を引かれた。これからもデヴィッド・リンチに踊らされたいと私は願っている。

■プロフィール
行定勲(Isao Yukisada)
1968年生まれ、熊本県出身。映画監督。2000年『ひまわり』が、第5回釡山国際映画祭・国際批評家連盟賞を受賞。01年の『GO』で第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞を始め数々の映画賞を総なめにし、一躍脚光を浴びる。04年『世界の中心で、愛をさけぶ』は興行収入85億円の大ヒットを記録し社会現象となった。以降、『北の零年』、『春の雪』、『クローズド・ノート』、『今度は愛妻家』、『パレード』(第60回ベルリン国際映画祭・国際批評家連盟賞受賞)、『円卓』、『真夜中の五分前』、『ピンクとグレー』などを製作。17年は震災後の熊本で撮影を敢行した『うつくしいひと サバ?』、島本理生原作の『ナラタージュ』が公開された。最新映画は、岡崎京子原作の『リバーズ・エッジ』。

■関連情報
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(c)marie claire style/selection, text: Isao Yukisada