【9月25日 marie claire style】観ている間、私も青春に回帰するような、映画への憧憬が飽和した作品だった。暴力と性の過激な描写で時代を切り裂くように疾走していた気鋭のピンク映画の監督、故・若松孝二監督が率いていた映画制作集団"若松プロダクション"の青春を描いた『止められるか、俺たちを』がそれである。 

 若松監督が亡くなってもうすぐ6年になる。監督の弟子で『孤狼の血』などで知られる白石和彌監督はじめ、若松プロ出身のスタッフが集まり「映画を武器に闘ってきた若松さんの声をもう一度聞きたい」と企画された。若松孝二の人となりを知っている者たちが、在りし日の若松プロの逸話を、現在では日本映画のレジェンドになった先達の映画人たちに取材をして作り上げたという。若松孝二のDNAを受け継いだ、無駄のない、とにかく勢いのある映画だった。

 1969年、"若松プロダクション"の門を叩いたひとりのフーテンの少女、吉積めぐみの視点で描かれる。「全部ぶち壊したいんですよ!」。若松孝二は常に時代と闘って映画を作っていた。学生運動が盛んな時代だ。政治批判をする若者たちを熱狂させ、性と生を噴出させた映画を多く作っていた若松プロは若者たちの心を鷲摑みにしていた。自分の怒りをぶち込んだような映画を作れと自分の弟子たちを鼓舞する若松孝二。それでも時代が過ぎると苦難の道を歩かされるようになる。「今の日本映画はダメですよ」。それでも若松孝二は抵抗し、自分の信念を貫いた。

 主人公のめぐみは、そんな若松孝二の滾るほどの熱い想いで映画を作ろうとする力に影響を受けながらも、やがて自分を知った時に彼を凌駕できるほどの人生を見出せずに苦悩する。その切なさが心に迫る。

 かつて、曲がりなりに私も若松プロダクションの門をくぐったことがある。映画『寝盗られ宗介』だけではあったが若松さんからはいろんなことを学んだ。

 本作の主人公のめぐみと同じように、撮影現場で何度も怒鳴られた。「なにチンタラやってんだ!」とカチンコを監督に取り上げられたり、撮影が終わって謝りに行ったら行ったで「お前は助監督だろ。できなくて当然だ。できるようになったら監督にしてやるよ」と言われたり、なかなか名前を正確に覚えてもらえず間違えた名前で何度も怒られた。これと同じエピソードが本作には余すことなく登場する。若松監督は予算にうるさい監督でありプロデューサーだった。映画を作って儲けないなんて考えられない。私が監督になって再会した時、「映画でちゃんとメシが食えていることはいいことだからな! 胸を張ってろ」と私の映画がヒットするとものすごく喜んでくれていた。「こいつはね、俺の弟子の中でも一番出世したんだよ」。たった一作、助監督についただけの私へのその言葉に胸が熱くなったのを思い出す。若松さんは途轍もなく怖くて、途轍もなく優しい人だった。そして、忘れられない強烈な人だった。

 この映画で描かれる、映画で世界を変えようと真剣に向き合っている若者たちの姿を忘れてはいけない。そう思わせてくれる必見の映画だ。

 天国の若松監督はこの映画を観て何と言うだろう。「オマエら、こんな映画作っても客は来ねえだろ」といつものような調子で目を細めながら言ったか。いやきっと愛弟子たちが描いた自分の青春に、その生きた証しに涙していると思う。

 若松孝二は日本映画の真の革命者だ。

■プロフィール
行定勲(Isao Yukisada)
1968年生まれ、熊本県出身。映画監督。2000年『ひまわり』が、第5回釡山国際映画祭・国際批評家連盟賞を受賞。01年の『GO』で第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞を始め数々の映画賞を総なめにし、一躍脚光を浴びる。04年『世界の中心で、愛をさけぶ』は興行収入85億円の大ヒットを記録し社会現象となった。以降、『北の零年』、『春の雪』、『クローズド・ノート』、『今度は愛妻家』、『パレード』(第60回ベルリン国際映画祭・国際批評家連盟賞受賞)、『円卓』、『真夜中の五分前』、『ピンクとグレー』などを製作。17年は震災後の熊本で撮影を敢行した『うつくしいひと サバ?』、島本理生原作の『ナラタージュ』が公開された。最新映画は、岡崎京子原作の『リバーズ・エッジ』。

■関連情報
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(c)marie claire style/selection, text: Isao Yukisada