【9月13日 marie claire style】「詩人ボードレールが夢に見た褐色の女神」。これはパリのシャンゼリゼ劇場で観客を熱狂の渦に巻き込んだジョセフィン・ベーカーに捧げられた賛辞である。かのヘミングウェイにも「最もセンセーショナルな女性」と絶賛され、ベーカーは時代の寵児となりながら、理想を追い求めすぎたために苦悩を伴う人生を送ったことでも知られている。

 アメリカ、セントルイスでユダヤ系スペイン人の父とアフリカ系アメリカ人の母の間に私生児として生まれたベーカー。彼女は貧しさと人種差別の二重苦の中でも逞しく成長していく。13歳になった彼女は年配の黒人男性との結婚を母親に強制されたが、結婚生活は長く続かず家出を決行する。それから1年後に鉄道車掌と結婚し、ベーカーの姓を得るが、フィラデルフィアで舞台に立つようになってからその結婚も解消してしまった。

 様々なダンスグループのメンバーとして参加し、舞台でダンスを披露しながら、19歳になったベーカーは遂にパリの大舞台に立つ。バナナの房をスカートのように腰に巻きつけ、チャールストンと呼ばれる黒人文化の中で生まれたダンスを披露。エキゾティックで美しい彼女が大胆にコミカルに踊るとパリの観衆は度肝を抜かれ、賞賛した。

 彼女の人気はパリからヨーロッパへと広がり、アフリ彼女はフランスの市民権を得る。

 幼い頃に受けた人種差別がきっかけとなり、公民権運動に積極的に参加するようにな
ったベーカー。一時は世界中から養子をとり、フランスの古城に施設兼テーマパークを造り、12人の「虹のこどもたち」と共に生活して話題になった。だが、金銭感覚が欠如していた彼女は運営に行き詰まり、引き取った子どもたちは決して幸せとはいえない生活を送ったことが後に子どもたちの告白によって明らかになっている。もしかすると、母親からの愛情が欠落していた彼女の追い求めていた愛の形は、少し歪んだものだったのかもしれない。

 彼女の最後の舞台は芸能生活50年を祝うステージの初日だった。その直後に脳溢血で帰らぬ人となったベーカー。彼女は最後の最後まで華やかで、人々を魅了し続けた。最期の場所はスポットライトが当たる場所で。それはジョセフィン・ベーカーらしい終幕だった。

■プロフィール
多屋澄礼(Sumire Taya)
1985年、東京都出身。インディ・ポップという音楽ジャンルを軸にイラストレーター、ライター、DJとして雑誌や本などで執筆を手がける。女性DJグループ、Twee Grrrls Club主宰。レーベル&ショップ、Violet And Claireのオーナーとして、女性作家や海外の雑貨などをセレクト。2012年、Twee Grrrls Clubの著書として『インディ・ポップ・レッスン』を刊行。その後、アレクサ・チャン著『IT』の日本語版の翻訳を手がけ、15年には女性ミュージシャンのライフストーリーを綴った『フィメール・コンプレックス』、京都のガイドブックとして『New Kyoto京都おしゃれローカルガイド』を刊行。

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(c)marie claire style/selection, text, illustration: Sumire Taya